「お、今日の担当かー!」 武蔵森学園高等部へ入学して数ヶ月が経ち、それなりに友達も出来て学校生活にも慣れた頃。 所属する委員会の仕事をきっかけに、よく話すようになった先輩がいる。 「遅刻ですよ。根岸先輩。」 「悪い悪い。」 私たち緑化委員会の仕事である、庭の花壇への水遣りをするために、 ホースを持ちあげて、先輩は鼻唄まじりに水を撒く。 姿を見つけると満面の笑みを浮かべる。私と話す根岸先輩は、いつだって楽しそうで幸せそうだ。 けれど、その理由は、一緒にいる私ではなく。 「!彼女の話、聞きたい!?」 「聞きたくないです。仕事してください。」 思い出すだけで幸せになれると話す、先輩の彼女の存在。 幸せの理由 「先週の休みなんだけど、最近出来た遊園地あるじゃん?あそこ行ったんだよね!ちょー楽しかった!」 「ああ、絶叫系のスリル感がすごいって評判になってますよね。」 「そうそう、すっげえ怖かった!でも楽しかった!」 「怖いのか楽しいのかどっちなんですか?」 「怖いから楽しいんじゃん!二人ともテンションあがったわー!」 「はあ、そういうものですか。」 私の入学した武蔵森学園は中高一貫校であり、男女別校舎だ。 私自身は高校からの外部生で、中学から知り合い同士だったクラスメイトたちの輪に入っていくことさえ、多少の時間がかかった。 それなのに、違う学年、違う校舎にいる根岸先輩とこうして話すようになったきっかけは、1ヶ月ほど前にさかのぼる。 入学してから数日後に行われた、クラス内の委員会決め。 『校内の緑化を維持し、環境を守ることに努める』だなんて、ざっくりとした活動方針だったために、 私はその詳細内容もわからずに誰も立候補のなかった緑化委員になった。なぜ、皆がそれを避けているか、よく考えもせず。 いざ、委員会に参加してみれば、昼休みや放課後に交代で校内の木々や花の世話をするという。 中学時の委員会は、多くとも週に1回、少なければ月に1回以下ほどの集まりだったから、完全に油断していた。 武蔵森学園は広大な敷地を持っており、その分植物も多い。少なくとも週に2回以上は昼休みか放課後に仕事がある計算だ。 早くクラスに慣れたかったから、出来れば昼休みや放課後は新しく出来た友達と過ごしたかったけれど、仕方がない。 何度か仕事をこなしていく中で、同じく緑化委員だった根岸先輩と同じ場所を担当する日がやってきた。 男女で校舎は別だけれど、校内のイベントごとや委員会は合同で行うのが慣例となっているらしい。 初めは簡単な挨拶をして、お互いの仕事をこなすだけだった。 たまにする会話も、誰とでもするような世間話。委員会の集まりのときに見かけただけで、ほとんど初対面なのだから当たり前だ。 少しして訪れた沈黙。それを破ったのは、先輩の携帯から鳴る着信音だった。 「・・・お。」 根岸先輩が携帯を開いて、一言だけ声を漏らす。 たったそれだけなのに、なんだか声のトーンが変わったように思えて、彼の方を見た。 「何か良いことあったんですか?」 「え?」 携帯のディスプレイを覗き込みながら、嬉しさが抑えられないって顔をしてる。 はっきり言ってしまえば、気の抜けた、にやけた表情だ。 「えー・・・いやー、まあね。彼女からのメール!」 「へえ。いいですね。」 「・・・。」 嬉しそうに話す彼に同意しただけのつもりだったけれど、根岸先輩は私を見て驚いたような表情を浮かべた。 何かまずいことでも言ってしまったのだろうか? 「本当?」 「え?」 「本当にいいなって思う?」 「は、はい。」 「話、聞いてみたいとか思う?」 「え・・・?えと、まあ・・・そう、かな?」 いきなりどうしたんだろう?質問の意図することがわからない。 けれど、下手に否定して、これ以上彼の機嫌を損ねるわけにもいかず、私は肯定の言葉を返した。 「・・・ふーん、そっかー。そうなのかー!」 先輩の表情はみるみるうちに明るくなっていき、最後には嬉々としながら満面の笑みを浮かべた。 「よし、それじゃあ思う存分話してやるな!!」 「へ?な、何を・・・」 「俺の彼女の話!!」 ポカンとする私などまったくお構いなしに、先輩の彼女への惚気話が始まった。 仕事が終わったらお弁当を食べようと思っていたのに、先輩の話は予鈴のチャイムが鳴るまで続き、私はお弁当を食べ損ねてしまった。 けれど、先輩の惚気話と勢いに圧倒されて、お腹がすいていることも忘れてしまうくらいだった。 それから根岸先輩は、私と担当が一緒だと、本当に嬉しそうな表情を見せる。 そして、先輩の彼女""さんの自慢話と、幸せな日々を延々と語り続けるのだ。 「、ケーキが好きなのな?でも、太ること気にしてて、いつもちっちゃいのしか選ばないの。 別に太ったって俺がを好きなのは変わんないのに!なあ、はどう思う?やっぱり女の子は気にしちゃうもんなの?」 「そりゃあ、好きな人の前ではなるべく可愛い姿でいたいからじゃないですか?」 「好きな人・・・って、やめろよ〜!そんなの知ってるっつーの!」 「・・・。」 先輩とよく話すようになってから、どうしてほとんど初対面の私に彼女の話をしたんですかと聞いてみた。 すると先輩は「あいつらは俺の話を聞いてくれないし、うざいとかひどいこと言うから・・・!」と演技じみた大げさなジェスチャーをまじえて悔しそうに言った。 あいつら、とは先輩の友達を指すのだろう。終わりの見えない彼女への愛と自慢話を四六時中・・・なるほど、納得だ。 強豪と言われるサッカー部に所属する根岸先輩は、放課後担当の日は滅多になく、ほとんどが昼休み担当だ。 根岸先輩と一緒になるとわかっている日は、私はお弁当を持って担当場所へ向かう。 先輩は彼女の話を始めるとなかなか止まってくれないから。 たくさんの花々に囲まれて、お弁当を食べながら、聞こえてくるのは恋の話。 「も早く彼氏出来るといいな!」 「そうですね。」 「遊ぶ場所とか聞いてくれていいし、俺たちを参考にしてくれていいからな!」 「・・・。」 「え!?なんで顔背けんの!?俺たちみたいになりたくないっていうの!?」 「それは・・・ちょっと。考えさせてください。」 「考えなくていいっつの!自分に素直になれって!」 先輩の友達すら邪険にするような、うんざりしてしまうほどの、恋の話。 正直、私も同じことを思わないわけじゃない。現に先輩に冷たい態度をとったり、軽くあしらったりもする。 それでも私が先輩の話を聞き続けるのは、彼女のことを本当に好きなんだって、伝わってくるから。 いつだって楽しそうに、幸せそうに笑うから。 TOP NEXT |