の母親から彼女の容態が急変したと連絡があり、俺は急いで病院へ向かった。
病院へ到着すると、の母親が疲れきった様子で長椅子に座っていた。





「・・・英士くん。」

「・・・っ・・・はあ・・・はあ・・・、は?」

「今は、落ち着いてる。」

「・・・そうですか・・・。」





このまま会えなくなってしまうのかと思った。
おばさんの言葉を聞いて、一安心し、肩の力が抜けた。





「・・・傍にいてあげてくれる?」

「・・・っ・・・はい。」





けれど、その表情は暗く、つらそうで、いつもとはまったく様子が違っていた。
娘の容態が急変し、危ない状態になったんだ。憔悴していてもおかしくないけれど。



胸がざわついた。彼女の部屋に向かう足が竦んだ。認めたくない予感が、頭を過ぎった。



それでも取っ手に手をかけて、ゆっくりと彼女の病室の扉を開けた。












ゴースト












口には酸素マスク、点滴の管が体につけられ、ベッドに横たわる姿。
あまりにも小さな呼吸音は、耳を澄ませてもなかなか聞こえなかった。

俺は、今までが治療で苦しむ姿を、ほとんど見たことがない。
彼女は言葉どおり、弱っていく自分を俺に見せることはなかった。
少しでも具合が悪くなると察したら、俺を帰らせ、俺自身もそれに従っていたからだ。

小さな頃からの病気。もう治らないと言われるような大きなもの。
それは俺には想像できないほど、苦しい日々だったのだと思う。

弱々しく横たわった姿。安眠とは言えない、疲れきったような表情は、元々細かった彼女をもっと小さく見せた。
もう慣れてしまったと言っていた死の恐怖に怯えながら、何度も、何度も。
苦しい治療を続けて、元気になったと思えば、また再発し繰り返される。

何度も考えた。だけど、俺はではないから、わからなかったんだ。
彼女がどれだけつらくて、苦しい思いをしてきたか。
けれど今は胸が締め付けられるように痛かった。その姿を見ているのがつらかった。





「・・・。」





つぶやくように彼女の名前を呼んでいた。



それはとても小さな声だったけれど。





・・・?」





ゆっくりと、の目が開いた。



首を動かして俺の姿を視界に捉えると、弱々しく笑顔を見せる。



声をかけようと思ったのに、胸に何かがこみあげて、言葉が出てこなかった。



けれど、彼女がこんなときでさえ笑っているのに、自分だけ弱い部分を見せるわけにはいかなかった。



言葉の代わりに、彼女の髪に触れ、額に触れた。
顔にかかった髪を避けて、俺も笑う。





「・・・っ・・・」

「・・・え?ちょ、ちょっと!?」





は口にかかっていた酸素マスクを外し、唖然とする俺を見た。





目が、そらせなかった。



彼女の瞳があまりに真剣で。



まっすぐに、ただ、俺だけを見つめるから。








「えいし、」








小さな、絞り出すような声で、俺の名前を呼ぶから。








「・・・なに?」








応えるべきだと思ったんだ。



無茶をした彼女を叱るでもなく、心配する言葉でもない。



いつもどおりに。



彼女が望んだ日常のままで。








「・・・あの、言葉、本当・・・?」








具体的な言葉は何もなかったけれど、それが何を指すのか、すぐにわかった。
彼女が一番気にしていたこと。悩んで、迷って、何度も俺から離れようとした理由だ。








「本当。」








間髪入れずに即答すると、は安堵したように笑みを浮かべた。
彼女の手を掴んで、言葉を続ける。








「大丈夫。心配いらない。」








少しでもいい。最後まで誰かの心配をする彼女を、安心させたかった。








「・・・よかっ・・・た・・・」








俺の手を、力なく握り返して。
はもう一度、ゆっくりと瞼を閉じた。








「・・・ごめんね、眠っても・・・いい?」

「・・・いいよ。」

「英士、」








一瞬、の口が小さく動き、何かを伝えようとしていた。
けれどそれは言葉になることはなく、俺の耳には届かなかった。










「おやすみ、英士。」










最後に交わした言葉は、ほんの数言。
俺の手を握っていた腕が、重力のままベッドに落ちていく。

苦しむ姿を見せることもなく、悲しい表情を見せることもなく、眠るように彼女は逝った。
その後、おばさんが部屋に入ってきて、に、そして俺にも声をかけていたけれど、よく覚えていない。



予感はしていた。



覚悟もしていた。



彼女自身にだって、何度も伝えられたことだ。



だけど、彼女の最後はあまりに穏やかで。



目の前でそれを見届けたのに、涙すら出なかった。























がいなくなっても、日々は過ぎていく。
俺は飯だってちゃんと食べられたし、ユースも休むこともなく、いつもどおりに練習をこなせる。
ときどき病院へ向かいそうになる癖は、なかなか治らなかったけれど。

ある日、ふと思い立って、久しぶりに夜の学校に向かった。

暗くなった校舎はやっぱり静かで、自分の足音だけが響く。
教室に入って、誰もいないことを確認して、窓際の席へ移った。





何も、聞こえない。





廊下を歩く音も、扉を開ける音も、俺を見つけて嬉しそうにする声も、





ここには君との思い出が溢れているのに、





彼女はもう、どこにもいなくて。








「・・・・・・?」








彼女の姿を探した。





探索だと言いながら、幽霊探しを続けているかもしれない。








。」








白いワンピースを着て、危機感もなく裸足のまま、学校中を歩き回っているかもしれない。








、」








ひとしきり歩いた後は、教室に戻って、いつもの窓際の席へ向かって。





笑って、嬉しそうにしながら、俺を出迎えてくれる。








・・・!!」








何度も、何度も、彼女の名前を呼んだ。





叫ぶように、願うように、呼び続けた。





わかっているのに。





わかっていたはずなのに。





もう君は、どこにもいない。

























随分前から気づいていた感情がある。





「なんで聞かないんだよー!その子のこと好きなんだろ!?」

「・・・別に、そういうつもりはないんだけど。」





興味本位と居心地の良さ。それが恋愛に限ったものじゃないことは知っていた。

けれど彼女を知るたびに、募っていく想いがあることを知った。
それは同情なのか、友情なのか、それともまた別の感情なのか。
その答えを考える余裕なんてなくて、俺はただ彼女の傍にいることを望んだ。



でも、本当はきっと気づいてた。



彼女への気持ちは、同情でも、友情でも、ただの優しさでもなかった。









もっと、たくさん話したかった。





もっと、名前を呼びたかった。





ずっと、一緒にいたかった。









「・・・っ・・・ふ・・・ぐっ・・・」










あふれ出した涙が、止まらなかった。








好きだった。








君のことが好きだったんだ。












「・・・・・・!!」













幽霊でもいいから、会いたかった。














TOP NEXT