いつかやってくることだと知っていた。



心の準備も、覚悟だって、すでに出来てる。



大丈夫、悲しくなんてない。



その時を静かに待つだけ。















ゴースト
















気づいたとき、目の前には真っ白な天井が見えた。
自分の家以上に見慣れているその光景を見て、この場所がどこなのかを理解する。

ぼんやりとした視界には、自分につながっている点滴パック。
少しの息苦しさは酸素マスクをつけているからだろう。

大きな発作が起こり、咳が止まらなくなったことは覚えてる。
それから後の記憶はないけれど、私はまだ生きているみたいだ。





ガラッ





扉の開く音が聞こえて、顔だけを動かしてそちらを見た。
私の名前を呼んで、駆け寄ってきたのは、お母さんだった。





っ・・・目が覚めたのね。よかった・・・!」





よかった・・・?本当にそうだったんだろうか。私はまたお母さんに心配も、苦労もかけてしまう。
合併症が判明し、手の施しようがないと言われたときも、あんなに悲しんでいたのに。
あれから何度も発作を起こしては、目を覚まし、その度にお母さんに苦労をかけてる。

それならば、いっそ、早くその時がくればいいと何度も思った。
お母さんがそんなことを望んでいないと知っていても、そう思わずにはいられなかった。





「ごめんね、一人にして。今ちょっと先生とお話してて。」





お母さんの表情は笑顔だったけれど、目を覚ましたばかりの私でも気づくくらい、疲れは明らかだった。
両親は既に離婚していて、私の面倒や、それに関する全ての手続きをするのはお母さん一人だ。

父親は私に関心がなく・・・というよりも、私という娘の存在を負担に思っていた。
私をかばうお母さんと、いつまで経っても治る様子のない私を見限ったお父さん。
意見はすれ違い、離婚が決まってからも、お母さんの態度は変わらなかった。
私が悲観的にならなかったのも、自棄にならなかったのも、お母さんのおかげだと思ってる。

だからこそ、最近やつれて、疲れを見せるお母さんを、はやく解放してあげたかった。





「調子はどう?」





うまく声が出せなくて、大丈夫だと伝える代わりに、小さく頷いて応えた。
お母さんは複雑な表情で、同じように頷く。





、3日も眠ってたのよ。
何か食べたいもの・・・って今は無理か。頼みたいことある?なんでもいいのよ?」





私は首を横に振る。
何もない。迷惑も苦労も、これ以上かけたくない。





「・・・会いたい人は?」

「・・・。」

「英士くんは?」





英士に別れを告げたことを、お母さんは知らない。
私に初めて出来た、同年代の同じ学校の友達。
英士と会ってから、表情が変わったと、楽しそうだと何度も言われた。

でも、いいんだ。私はもう、彼に会わない。
また、首を横に振る。





「・・・そう。そっか・・・。」





お母さんはそれだけ言って、黙ってしまった。
私の病気の問題に、これ以上彼を巻き込むわけにはいかない。
お母さんもそれはわかってくれているだろう。










それから数日が経ち、体はますます弱っていった。
常時酸素マスクをつける必要はなくても、発することの出来る言葉は、日々少なくなっていく。
少しずつ、少しずつ、終わりが近づいてきているのを感じていた。

でも、私は悲観的にならなかった。
ずっと前から覚悟してきたことだ。それに、最後に出会えた大切な思い出だってある。

英士はあのときのように、つらい顔をしていないだろうか。
もう、悩まないで。私たちのこれまでが、貴方の傷になってしまわなければいい。

つらくて悲しい思い出になるくらいなら、私のことを忘れてしまったっていいから。









「・・・?」








わからなかった。どうして、今更と思った。
それでも、私の頬をとめどなく伝っていく。



呼吸だって乱れて、発作が起こりやすくなってしまう。



私の周りの人に心配も、迷惑もかける。



だから、私には必要のないものなのだと、思い続けていた。









「・・・っ・・・」









それなのに、どうして。





貴方を想うだけで、涙が溢れてくるんだろう。














ずっと前から決めてた。わかってたことだった。



私は幸せだった。もう、充分だった。



だから、涙を流す理由なんてない。








「会いたいと、思ったから。」


「当然でしょ?友達なんだから。」


「はは、冗談。仕方ないから今度持ってきてあげる。」








自分から遠ざけた。



これからどんどん弱っていく自分の姿を見せたくなかった。



私がいる間、そしていなくなってから、これ以上の重荷を背負わせたくなかった。



だから、最後だと告げたのに。



それでも、私はまだ彼に、







「私のこと、大切に思ってくれてる?」

「思ってるよ。」








会いたいと思っているだなんて。










コンコン、










扉をノックする音が聞こえ、私は慌てて自分の涙を拭いた。
なるべく顔が見えないように布団の中に深くもぐる。
そのまま誰かが部屋に入り、私のベッドに一歩ずつ近づいた。








「具合、悪いんだって?」








その声を聞いて、耳を疑った。
彼に会いたくて、幻聴まで聞こえるようになってしまったんだろうか。

私は彼に最後を告げた。
お母さんに連れてきてほしいと頼んでもいない。ここにいるはずがない。







。」







私を呼ぶその声だって、間違えようもない彼の声で。
だけど、顔を見るのが、確かめるのが怖かった。





「最後だって言ったのに、また来たって怒ってるの?」

「・・・。」

「言っておくけど、約束してないよ。そっちが一方的に言ってただけだし。」

「・・・。」

「俺が簡単に折れると思ったら大間違い。」





幻聴なんかじゃない。英士だ。
以前もこうして、私を探して会いにきてくれた。
臆病になって怯えて、貴方を傷つけたくないと、理由をつけて逃げていた私に、また近づいてきてくれた。





「俺がここに来た理由、言わなくてももうわかるでしょ。」





その理由が、私の思う通りのものだとしても。
それでも、私は。





「・・・かえって・・・」

「嫌だ。」

「もう、覚えててほしいなんて言わない。忘れてくれていいから。」

「嫌だ。」

「私は、幸せなの。幸せなまま逝く。」

「・・・。」

「重荷になんて、なりたくないよ。」





貴方がどれだけ私を思ってくれているかはわからない。
けれど、大切に思っていると言ってくれた。
ねえ、私も同じなの。貴方が大切で、大切で、これ以上傷つけたくない。
私の記憶が残れば残るほど、私の存在はきっと重くのしかかる。





がいなくなったら、つらいだろうし、悲しむとも思うよ。」

「だったら・・・」

「でも、重荷になんてならない。」





どうしてそんなこと言うの?そんなことがわかるの?





が幸せだっていう思い出は、俺にとっても同じだよ。」

「!」

がいなくなっても、それは変わらない。」





問いかけようとした言葉は、彼の迷いのない言葉に、飲み込まれた。





「忘れることなんてできない。でも、それは重荷なんかじゃない。傷になんて絶対にしない。」





自分の顔を隠すことも忘れて、気づけば彼の顔を見つめていた。
先ほど流れていた涙が、再度私の頬を伝う。





「だから、俺は忘れない。」





英士の指が、私の涙を掬った。
そのまま手のひらを頬にあてて、彼は優しく微笑んだ。










のこと、ずっと忘れないよ。」


















頑張ればなんとかなるとか、諦めるなとか、奇跡が起こるかもしれないとか、私が欲しいのはそんな言葉じゃなかった。

多くの人が未来を夢見る。だから、私の未来だってわからないと言う。
でも、未来はそう簡単に変わらないと知ってる。どんなに願っても、叶うことがないものがあると知ってる。

なぐさめなんていらなかった。気休めなんていらなかった。





ねえ私、本当は、









「一緒にいよう、。」









一緒にいたかったよ。





たとえ時間が短くても、最後のそのときまで貴方と一緒にいたかった。





そして、出来るなら。願ってもいいのなら。





私がここにいたことを、忘れないでほしかった。














私のこれからを受け入れて、結末もわかっていて、それでも一緒にいたいと言ってくれた。



何度逃げ出したって、貴方は私の手をひいてくれる。



頬に触れていた英士の手に、自分の手のひらを重ねた。



張り詰めていた心が、少しずつほどけていくようだった。







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