「それが学校の宿題?」

「うん。そう。とりあえず、問題集持ってきたよ。」

「私もやっていい?」

「いいけど・・・わざわざ学校の宿題がやりたいだなんて、どうしたの?」

「勉強はしてるつもりだけど、実際の授業でどんなことをしてるのか知りたくて。私にも解けるかな?」





夏休みに出される大量の課題なんて、大抵は嫌われるものだ。
存在すら忘れて、休み終盤で痛い目にあっている奴だってめずらしくない。
こんなにキラキラした目で課題を見つめる人なんて、そうはいないだろう。





「さあね。やってみたら?」

「そうする。」





は筆記用具を取り出し、問題集を真剣に見つめると、気合を入れるように頷いて問題を解き始めた。















ゴースト














「早い話がどの公式をどうやって応用するか。わかると簡単でしょ?」

「うーん・・・なるほど・・・。あ、ちょっと待って。もう一回解いてみる。」





気合とは裏腹に、は早々につまずき、何度もうなっているのでポイントを教えてみる。
授業でも、テストが近いわけでもないのに、俺の言葉をびっくりするくらい真剣に聞いて
頭の中で整理して頷くと、もう一度シャーペンを動かし始める。

に触発されて、俺も課題を進めていたから、部屋には文字を書く音だけが響いていた。
それから少しして、出来た、と小さな声が聞こえる。





「英士、出来たよ。これで合ってる?」

「見せて。・・・えーっと、うん、合ってる。」

「やった。」

「理解できた?」

「うん。やっぱり誰かに教えてもらうっていうだけで違うね。教科書は文字ばかりでわからないところもあるから。」

「それはよかった。」





ここまで喜んでもらえたなら、教えた甲斐があるというものだ。
言葉の強弱は少なかったけれど、表情から嬉しそうにしているのがよくわかる。





「あ、でも、英士の勉強の邪魔しちゃった?」

「別に気にしなくていいよ。俺、元々ここでは課題とかするつもりなかったし。」

「宿題たくさんあるんじゃないの?」

「俺は要領がいいので、ご心配なく。」

「・・・あ、もしかして私が勉強したいって言ったの、迷惑だった?」

「ううん。別に嫌いじゃないから。それに、の方は楽しそうだったし?」

「・・・うん、楽しい。」

「それならいいよ。」





照れくさそうに笑うにつられて、俺も笑う。
はそれからも何度かつまづいていたけれど、飲み込みが早いらしく、ポイントを教えるとそこからは自力で解くことができた。
解けるたびに嬉しそうに俺を見るのも、なんだか小さな子供みたいで、微笑ましく思える。





「こうして一緒に勉強してみたかったんだ。わからないところ、教えあったりして。
あ、でも今日は教えられっぱなしだったけど。」

「そう。」

「私、今日一日ですごく頭がよくなった気がする。」

「それは言いすぎ。」

「ふふ、やっぱり?」





いくつかの問題集を数ページずつ終えて、一息つく。
パラパラとページをめくっていると、の解いた部分だけ、すごく綺麗な文字が並んでいる。
当たり前だけれど、自分のとは随分違う字体だ。





は飲み込み早いから、そのうち良くなるとは思うけどね。」

「・・・そう思う?」

「たぶん。」

「たぶんって何ー。」





冗談を言い合いながら、は問題集をもう一度見つめて閉じると、俺に返した。
手元にあった飲み物を一口含み、それをゆっくりと飲み込んでから、小さく深呼吸する。

そして、笑っていた表情を崩さずに、いつもと同じように、俺の名前を呼んだ。





「英士。」





特に返事はせず、顔をあげて応える。








「学校、一緒に行ってくれる?」








その言葉だけでは、夏休み明けの学校を指していたのか、
それとも以前と同じ夜の学校を指していたのか、わからない。

けれど、俺はそれがどちらを指しているのか、わかる気がした。






「いいよ。」






今までの会話の流れからしても唐突で、どうして突然そんなことを言ったのか。
それでも、理由を聞くこともせずに、即答した。





「どうしてって聞かないの?」

「聞いたら教えてくれる?」

「内緒。」

「ほらね。」





は自分の我侭だけで、無茶をするような人間じゃない。
夜の学校に来てはいたけれど、自分の体調を理解したうえだったし、罪悪感も持っていた。
発作が起こってからは、一度も学校には行っていない。
今、学校に行きたいと言ったのだって、無茶をしたいという理由じゃないんだろう。

理由はわからなかった。けれど、迷いもなかった。
それが、彼女にとって意味のあることなのだと、直感的にわかっていたから。

















次の日、時間を決めて、の家から少し離れた場所で待ち合わせた。
学校まではほんの数分の距離。今日はもう全ての部活は終わり、渡り廊下からの扉は閉まっていたけれど、
が見つけた教室近くの窓の鍵はまだ気づかれていないらしく、そこから校舎へ入ることが出来た。





「ちょっと久しぶり。やっぱり静かだね。」

「誰もいないからね。」

「ねえ、ちょっと探検しようよ。」

「また?懲りないな・・・。」

「いいじゃない。英士だって肝試ししてみたいって言ってたくせに。」

「・・・わかったよ。だけど先生は残ってるだろうから、静かにね。」

「はーい。」





何度もここで会っていたけれど、こうして校舎内を一緒に歩くのは初めてだった。
が場所がわからなくて行けなかったと言っていた部屋を案内しながら、
時々呼吸を乱しそうになる彼女の歩調にあわせて、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
そして、いくつかの部屋を周って、最後にいつもの教室に戻ってきた。





「やっぱり何もいなかったね。」

「そうだね。」

「英士、全然期待してなかったでしょ?」

「まあね。俺、幽霊とか信じてないし。」

「・・・そっか。やっぱりいないのかあ。」





呟きながら、は窓際の席まで歩き、そこから窓の外を眺めた。
彼女自身もそこに行くのが癖になっているのだろう。何度も見た光景だ。





「あのね、英士。」

「なに?」

「・・・私、幽霊に会えたら、聞いてみたいことがあるって言ってたでしょう?」

「・・・ああ。それが何かは教えてもらえなかったけど。」

「本当はね、会えるだけでよかったんだ。」

「どういうこと?」

「知りたかったの。」

「・・・なにを?」

「人は死んだら、どうなるのか。」





外を眺めながら話す、の表情は見えなかった。
いつもみたいに、唐突だって、何言ってるんだって、呆れてやればよかったんだ。

けれど、何も言葉が出てこなくて。





「英士。」





がこちらに振り向いた。
白いワンピースに白い肌、長い黒髪。初めて出会ったときと同じ姿だ。
ただ、彼女の姿は、そのときよりももっと、もっと、弱々しく見えていた。








「まだ、貴方に伝えていないことがあった。」








考えない訳じゃなかった。彼女がずっと学校に来れなかった理由。
発作を起こしては入退院を繰り返し、退院しても家でずっと過ごしてる。
日に日に細く、顔色が悪くなり、会う時間が減っていった。会話の最中に咳き込むことも多かった。











「私、もうすぐ死ぬの。」











学校に憧れ、友達と話したり、勉強したり、当たり前の生活を望んでいた。
何をするにも、本当に、本当に嬉しそうで。





時折見せる、悲しい笑顔の理由だって。





考えない訳じゃなかった。










考えたく、なかったんだ。














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