「おはよう、。」

「おはよう、郭くん。」





毎朝顔をあわせ、同じ挨拶をかわす。
学校であったことや、お互いの友達、今読んでいる本の話。
他愛のない会話の繰り返し。私たちの日常はとても穏やかだ。

けれど、私は今、とても困っている。
時間が経つほどに悩みが膨らんでいくような気さえしていた。





「あれ?郭くんが眠そうだ。めずらしい。」

「そうだね。いつも眠そうなとは違うから、めずらしいかもね。」

「私だっていつもちゃんと起きてるでしょ!眠いのは、べ、勉強してたとか・・・」

「だからなんでそこで見栄はるの。普通に本にのめりこみすぎたって言えばいいのに。」

「私のことはいいの!郭くんは何かあった?」

「昨日、新しい練習方法が導入されて、慣れなくて疲れたのかも。」

「練習方法・・・ああ、サッカー!私のことは気にせず寝ていいよ?寝過ごしそうなら起こすし。」

、寝てる俺に何もしないよね。」

「し、し、しません!するわけないでしょ!!」

「はは、じゃあお言葉に甘えて。」





郭くんにとって信頼のおける友達は、それほど多くはないのだと思う。
彼は人に好かれやすいけれど、郭くん自身のパーソナルスペースはおそらくかなり狭い。
だからこそ、心を許した相手には正直にも、辛辣にもなり、その分向ける優しさも顕著になる。
今、こうしているように、無防備に隣で寝たりもする。

普段は表情も大きく変わらず、言葉の強弱もなく淡々としているのに、こんな姿を見せられては、自分が彼にとっての特別な存在なのだと錯覚してしまいそうだ。
もちろん、友達として私を認めてくれているのは、わかっているのだけれど。

私は一度、こっぴどく振られ、そのうえで友達でいたいのだと告げられている。
期待をしても空しいだけだ。いくら私に気を許してくれているように思えても、彼からすれば男友達と大差はないのだろう。
わかっているのに、日に日に近づいていく距離に、私はいまだ戸惑っていた。

そんな私の悩みとは対照的に、郭くんは私に容赦がない。
悪い意味ではなく、友達に甘えたり、自分を見せる、という意味で。
ただ、私にとって、それは良い傾向とは限らない。



私たちは友達だ。
一緒にいることは心地が良いし、楽しいけれど。



恋愛と友情の境界線。自分の気持ちがどこへ向かっているのか、私はいまだにわからない。













友達協定














「そうだ、郭くん。この間、サッカー雑誌に郭くんが載ってたよ。」

「ああ、少し前に取材があったからそれかな。なんで知ってるの?」

「クラスの子でサッカー好きの子がいて。雑誌を偶然見せてもらったら載っててびっくりしたよ。」

「ふーん。小さな記事だと思うけど、よく見つけたね。」

「そこはほら、友達ですから。」

「それは答えになってるの?」

「そしてその雑誌がなんとこんなところに!」

「・・・何買ってるの。、サッカーに興味ないでしょ。」

「興味ないわけじゃないよ。自分はできないけど、郭くんからいろいろ話を聞いて面白そうだなとは思うし。それに、友達が雑誌に載ってるって聞いたら、つい手に取ってみたくなるものじゃない?」

「割とミーハーだよね。」

「ふふ、なんとでも。」





郭くんがクラブユースに所属しているとは聞いていたけれど、実際に彼がサッカーをしている姿を目にしたことはない。
いつも制服姿の彼が、コートを駆け回っている姿は、写真であっても新鮮だった。





「そうそう、たまに郭くんの話に出てくる友達も一緒に載ってたよ。」

「一緒に取材を受けたからね。」

「これが結人くん、これが一馬くん。」

「うん。」

「二人とも格好良く映ってるのに、郭くんが二人をからかった話ばかりするから、なんだか想像と違う感じ。」

「黙ってれば格好良いってこと?」

「そうは言ってないよ!というか、そもそも二人に会ったことないし。」

「あっちは会いたいって言ってるけどね。特に結人。」

「へ?なんで?」

「たまにがお菓子つくって渡してくれるでしょ。前に言ったと思うけど、一緒に食べることが多いのが結人。また食べたいっていつも言ってる。」

「そ、そうですか・・・。あれくらいならいつでも・・・」

「なににやけてるの。嬉しい?」

「えっと・・・う、うん、嬉しい、みたい。というか、なんか照れるね・・・!」





おせじかもしれないけれど、自分の作ったものを褒められるというのは、どんなことであっても嬉しいものだ。
雑誌で写真を見て、そうかこの人がそんなことを言ってくれたんだ、なんて、会ったこともないのに親近感を抱いてしまう。
そんなことを考える自分が少し気恥ずかしくなって、話題を雑誌に戻した。





「一馬くんがFWで、結人くんと郭くんは同じポジションなんだ。」

「・・・うん。まあ正確に言えばその中でも細かく分かれるんだけど・・・」

「・・・?どうかした?」

「いや、別に。」

「あれ?え、えっと、私何か変な質問した?」

「してないよ。」





話の途中に、何かに気づいたかのように郭くんが言葉を濁した。
サッカーをよくわかってない私が、何かおかしな質問でもしてしまったのかと思ったけれど、どうやら違うようだ。





「・・・俺、思ってたんだけどさ。」

「は、はい。なんでしょう。」

「呼びづらくない?」

「・・・何が?」

「付き合いが長くなると、結構自然に変わってくるんだけど、は変わらないなって。」

「だ、だから何が?」

「これは誰?」





郭くんが雑誌を指さし、質問をする。
雑誌の話題から話が逸れたわけでもないらしい。
郭くんの聞きたいことはいまいちわからないまま、促されるままに答えた。





「一馬くん。」

「こっちは。」

「結人くん。」

「これは。」

「郭くん・・・って何?さっきの繰り返してるだけじゃ・・・」

「だから、呼びづらくないの?」

「・・・・・・。」





呼びづらいってなんのこと?と、再度聞ける雰囲気では無くなっていた。
少しの沈黙の間に私は頭をフル回転させて、彼の言葉の意味を考える。
こっちの写真が一馬くん。隣が結人くん。さらに隣が郭くん。
呼びづらい・・・呼びづらい・・・呼び・・・





「!」

「別に呼びづらくないならいいけど。」





その言葉と同時に乗り継ぎ駅に着き、質問に答えないまま、彼と別れてしまった。

だって、郭くんがそんなことを言うとは思ってもみない。
そりゃ、前に自分のことを好きに呼んでいいよとは言われていたけれど。



一馬くん、結人くん、郭くん。



確かに「かくくん」という響きは少しだけ呼びづらいけれど、正直、慣れてしまった。
それを今更変える・・・いやそれ以前に私は彼を名前で呼ばない理由があった。
一度だけ呼んだことのある彼の名前。それをきっかけに私は恋心を自覚した。
その気持ちが彼に気づかれないように、それ以上に気持ちが大きくならないようにする防衛線だった。

だって、私たちは友達でしょう。
呼び方なんて、なんだっていいと思うし、そもそも郭くんなんて、そんなこと、全然気にしそうにないのに。





「あーもー・・・ずるい!」





これからも友達だと言っていたのに。
自分に気持ちは無いって言っていたのに。
私が彼への気持ちを忘れられないのは、半分以上、郭くんのせいだ・・・!
















学校へ着き、上の空のまま授業を受けて、昼休みになった。
楽しそうに話をしている友達をぼんやりと眺めながら、ふと疑問を口にする。
そもそも恋愛と友情の境界線はどこにあるんだろう。





「どうしたの、いきなりそんなこと聞いて。」

「いや、なんかもう・・・混乱してまして。」

「朝の電車の君か。」

「はーい!楽しくていつも一緒にいたいって思えるかってのはどう?」

「それって友達もそう思うことあるよね?」

「そっか!じゃあ・・・なんかドキドキする存在!」

「恐怖や緊張でもドキドキするじゃん。そんな曖昧なものじゃなくて、単純にキスやセ「ちょっと待ってー!!昼間っから何言うかな!!」」

「えー。が話をふったくせにー。」





そうだ。誰に聞いたって明確な答えなど出ない。
恋愛の定義は人それぞれなのだから。

仲の良い友達が、ほかの子と自分以上に親しそうにしていたら、やきもちだってやくし、
彼氏が出来たら、お祝いしながら少しだけさみしくもなる。
一緒にいて楽しいし、いつまでだって話していたい。そう思うのも友情だ。

自分だけ名前を呼ばれずに、少し不機嫌になるのも、郭くんにとっての友情の形。
仲良くなればなるほど、彼は独占欲が強くなるのかもしれない。





「自分で決めていいと思うけど。」

「そうそう。決まりなんてないよ。だからだって、好きだって思ったんでしょう?」

「・・・でもさ、別にキスしたいとかは、思ってるわけじゃないんだけど・・・。」

「え!私的に言わせてもらうとそれは友達なんじゃない!?」

「ちょっと!今自分で決めていいって言ったばっかでしょー!」





この感情を友情へ変えることも出来るのかもしれない。
私が郭くんを好きなことは、それが友情でも愛情でも変わりはないものだから。
そう思えれば、彼からの友情を素直に受け入れることが出来る。
些細な一言に反応して期待してしまったり、傷つくことも無くなるはずだ。

























意識を変えるきっかけにはちょうどいい。
彼も望んでいるというのなら、防衛線を解いてみよう。

あの頃とは状況が違う。
私は郭くんへの気持ちを隠す必要は無くなっているし、彼の気持ちも知っている。
たかが名前だ。学校の友達のことはいくらだって呼んでいる。
彼も同じ友達。呼び方ひとつ変わったところで、何が変わるわけでもない。





「・・・えいし、えいし、えいし。」





そう決めて少し早く着いた駅の椅子に腰かける。
周りに誰もいないことを確認して、彼の名前を何度かつぶやいた。
うん、なんてことはない。緊張もしないし、あの頃見たく心臓が飛び出しそう、だなんて感覚も起こらない。

あとは本人に告げるだけだ。





「おはよう、英士。・・・ん?いきなり呼び捨てはさすがに馴れ馴れしいかな。英士・・・英士くん?」





さりげなく呼べば、勘の鋭い郭くんのことだ。
何事もなかったかのように、挨拶を返してくれる。





「英士くん。英士。・・・うん、英士。」





そして、私たちの友情が深まる。
恋愛よりもこのまま友達でいる方がずっと良いと思えれば、気持ちのすれ違いは無くなる。

これは、きっかけ。
どんな方向に向かうかもわからないけれど、私が変わるための些細なもの。





「英士、英士、えい・・・」

「なに??」

「・・・・・・・・・・・・きゃああ!!」





本人に告げる前の練習段階で、まさかの返答。
周りを確認したはずだったのに、いつの間にこんな傍にいたのか。
どこから聞かれていたのかわからないけれど、恥ずかしさで一気に体温が上がる。





の叫び声を聞いたの、何回目だったかな。」

「そ、それは郭くんがいつも急に・・・」

「ん?」

「え、え、英士が・・・急に声をかけるから。」





さりげなく呼び方を変えるなんて出来なくて、言葉に詰まりながら、なんとか彼の名前を呼ぶ。
ああ、練習の意味が全く無い。





「はは、真っ赤。」

「もうほっといてください・・・。」

「本当、って、」





言葉が途切れ、その後は何も聞こえない。
疑問に思い、思わず顔をあげ、彼の方へ視線を向けた。








「・・・・・・バカだよね。」








言葉とは真逆の優しい笑顔。



やっぱり郭くんはずるい。








「嬉しいよ。がそんなに必死で俺のこと考えてくれてたなんて。」

「・・・。」

「ああ、そうそう。敬称をつけるよりは呼び捨ての方がいいかな。」

「・・・どこから聞いてたの?」

「どこからって言われても、ずっと俺の名前を呼び続けてたし、なんと言って良いやら。」

「忘れて!全部忘れて!!」





郭くんは、嬉しそうに私の顔を覗き込んだ。
いつもそうだ。人をからかって、戸惑う私を楽しそうに見つめる。





「大体、郭くんはいつもいつも・・・」

「練習の成果は?」

「・・・・・・英士。」

「聞こえない。」

「・・・英士。」

「うん。」

「英士。」

「なに?。」





でも、いつもとは少し違うんだ。私をからかって楽しんでるだけじゃない。
それがわかってしまうからこそ、私はいつまでも悩み続けてる。





「ずるい。」

「は?」

「英士は本当にずるい。」

「いきなり何・・・」

「でも、仕方ない。それも含めてこそだからね。」









恋愛と友情の境界線は、いまだによくわからない。



それでも私はどうしたって彼から離れることは出来ないのだ。



だって、彼に振り回されてる今でさえ、楽しくて愛しくて自然と笑顔が浮かぶ。



いつまでもこの時間が続いてほしいと願ってしまう。



どうやら、私の想いはまだまだ変わりそうにない。







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