流れていた静寂を破るかのように、図書室の扉を開ける音がして先生がもう下校時刻だと告げる。
渋沢くんが何事もなかったかのように先生に返事をすると、私は我に返って、ようやく彼の顔を見上げた。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ優しい笑顔。
「さん、帰ろう。送るよ。」
「う、ううん。一人で帰れる・・・大丈夫っ・・・」
ようやく出てきた言葉は、動揺しているのが丸分かりな慌てた声。
「先に帰るね・・・?バイバイ・・・!」
告白、というものは初めてではなかった。
だけど私はこれまで、男は戦う相手であって恋愛の対象になったことなんてなかったんだ。
だから、そういう意味で意識だってしたことはない。
なのに、何で?
何で私はこんなに慌てている?
まるで逃げだすみたいに、必死になって走ってるの?
戦う少年少女
渋沢くんの言葉が頭から離れない。
とりあえず落ち着こうと思って、その言葉を頭から離そうとしても
そう思えば思うたびに、彼の低い声が頭に流れこんでくる。
「・・・はあ・・・。」
確かに渋沢くんは私の憧れだ。
私のような猫かぶりの優等生ではなく、本当に心から他人の心配が出来る人。
いつだって誰かに頼られ、温かな空気に包まれている人。
好きか嫌いかと聞かれれば、当然好きな人なんだろう。
けれど、男女として付き合いたいかと言われたら・・・それは違う。
私はまだ男子をそういう目で見ることが出来ない。
自分のことに必死で、他人に目を向けなかったとも言えるかもしれないけれど。
「俺は君をもっと知りたいと、君にもっと近づきたいと・・・そう思ってる。」
私は一体どうしたいんだろうか。いや、そもそも渋沢くんだってどうしたいのかわからない。
確かにあの台詞は私に対して好意的なものだったけれど・・・はっきりと好きだと言われたわけじゃない。
そうだ、もしかしたら友達としてということだったのかもしれない。
・・・なんて思うのは逃げなんだろうな。
情けない。昔の威勢はどうした、私。
色恋でこんなに混乱して、悩んで、うじうじしてる自分なんて想像も出来なかった。
ぐるぐると考えをめぐらせながら、ポケットの中の携帯が震えているのに気づく。
尽きることのないため息をまた一つ吐いて、私は目的の場所へと向かった。
「・・・なんで体育倉庫?」
「サボったのバレた。」
「ああ、体育は特に厳しいからね。って何で私がアンタの罰に付き合わなきゃなんないのよ。」
「わかりきったこと聞いてんな、バーカ。」
いつも呼び出される屋上でなく、体育倉庫に来いというメール。
どうしてと聞くまでもなく、ああ何かの罰則なんだろうなと予想はついていたけれど一応聞いてみたらやっぱりだ。
「用具の整理だって。ヨロシクサマ。」
「どう整理しろってのよ。めっちゃ埃っぽいし。」
校庭から少し離れた場所にある倉庫には、たくさんの用具が並んでいる。
使った用具を配置場所も考えず置いていく人がいるんだろう。入り口付近はいろいろな種類の用具が混ざっていた。
「・・・はあ。いいや、始めよ。」
「今日はやけに素直だな?」
三上に反論したところで、どうにもならないことくらいわかってるし。
いつもはわかってても文句を言う気力くらいはあったけれど、今はその気力さえもない。
用具を動かす音がだけがして、私は黙々と作業を進めた。
用具の中には重いものもあって一苦労だったけれど、作業に集中すればするほど
他のことを考えなくなる。今の私には丁度いい作業だったのかもしれない。
「・・・っしょっと・・・」
「・・・。」
「・・・。」
けれど、ひとつ気になることがあった。
「・・・何か用?」
「別に。」
いつもは私に面倒事だけを押し付けてすぐに立ち去る三上が、
今日は何故かずっとこの場にいるのだ。
ていうか、そこにいるなら手伝ってほしいんだけど。いや、それ以前にこれは三上の罰則だよね?!
「ちょっと三上・・・」
「お前さ。」
言葉が遮られた。
私は陸上用のポールを手に抱えながら、彼の方へ振り向く。
「渋沢と付き合うつもりか?」
予想外の言葉に目を丸くして、ポールを支えていた腕の力が抜ける。
ガラン、ガランと音をたててポールが床にばら撒かれ転がっていった。
「・・・な、何・・・言って・・・!あ、また・・・噂の話?」
「何とぼけてんだよ。昨日。図書室。」
「!」
「人のメール無視して何やってんのかと思えば・・・くだらねえ。」
ちょ、ちょっと待って・・・!何で三上が昨日のことを知ってるの?
直前までは図書室を覗いてた女の子たちがいるのは知ってたけど、あの時はもういなかったはずだ。
しかもメール無視してって・・・まあ確かに携帯の電源は切ってたけど・・・まさか、もしかして・・・
「・・・もしかして、私を探してた?」
「何言ってんだ、自意識過剰なんだよ。そんなことあるわけねえだろバカ女。」
・・・相変わらず口が悪すぎる。いや、昔の私も人のことは言えないんだけど。
って、そんなこと思ってる場合じゃなく、問題はそこじゃない。
「渋沢と付き合うつもりなのかよ、。」
「・・・っ・・・」
自分の気持ちも整理できていないというのに、どう答えろと言うのか。
私は言葉につまり、三上の視線から目をそらす。
「は、ふざけてんなよ。バカじゃねえの?」
「・・・。」
「渋沢が惚れたのは、作り物のお前だろ?」
そんなことは知ってる。三上に言われるまでもなくわかってる。
私は本当の自分を見せてない。
我侭で乱暴で人を傷つけていた過去も、周りによく見られようと必死になっている自分も。
渋沢くんが本当に私を好きになってくれたというのなら、それは「私」じゃない。
何を頼まれても笑って引き受けて、他人の世話をするのが好きなような見せて、先生からの信頼も厚い優等生。
私はその存在に憧れた。誰かに必要とされる存在に憧れ、自分がそうなりたいと願った。
「渋沢も見る目ねえよな。本当はこんなに性格悪い女だとも知らずにお気の毒なことで。」
だから、誰にでも優しくできるように。みんなの頼りになるように振舞った。
だけど、それは心から他人の心配をしてるわけじゃない。
心から誰かのためになるようにと願ったわけじゃない。
結局は、自分のため。
「・・・わかってるよ・・・!」
「わかってんなら、とっとと断れよ。」
わかってる。
「本当のお前を知ったら、好きになんてならねえよ。」
わかってる。でも・・・
「・・・んで・・・」
「あ?」
「・・・なんで、三上にそんなこと言われなくちゃいけないの・・・?」
三上に言われなくても、自分自身が一番よくわかってる。
わかってるからこそ、それを言葉に出されることはつらくて、胸が締め付けられる。
本当の私でいる限り、誰も私を好きになんてなってくれない。
だから私は変わろうとした。今だって、必死でもがいている。
「誰も好きになってくれないから、私は変わろうとした・・・!
現にこうして好きになってくれる人が現れたでしょう?」
「・・・本当のお前じゃないのに?」
「今はそうでも・・・いつか本当になるかもしれない。
私も渋沢くんみたいになれるかもしれない。彼の傍にいれば、変われるかもしれない・・・!」
渋沢くんは私の憧れ。けれど、それはきっと恋愛感情じゃなかった。
それがわかっていて、私は何を迷っていたのか。
その答えはきっと、今自分で口にした言葉だ。
ずっと心に引っかかっていたのは、私を迷わせていたのは、きっとこの感情。
私も渋沢くんに近づいていけたなら・・・彼のようになれるかもしれない。
彼の隣にいれば、嘘なんかじゃなく、本当の意味で優しい人間になれるかもしれない。
そんな、自分勝手な思いがあったから。
「変われねえよ、お前は。」
「変われる。」
「できるわけねえだろ?」
「できる。」
「お前っ・・・」
「渋沢くんと付き合うよ。」
本当にそんなつもりがあったのかもわからない。
けれど三上の言葉があまりにも痛くて。
売り言葉に買い言葉のような、そんなくだらない理由から出た一言だった。
「・・・片付け、終わったから。」
「・・・待てよ。」
床に散らばったポールを立てかけて、私は三上の声に耳を傾けずに外へ出た。
けれどその瞬間腕を引かれ、そのまま用具室のマットに体を押し付けられた。
「・・・三上っ・・・何・・・」
「ふざけんな・・・。」
「・・・え・・・?」
「そうやって過去をなかったことにして、のうのうとしてるお前を見てると本当ムカつく・・・!」
三上を押しのけようとしていた手が止まって。
見上げるとそこには今まで見たことのないような、苦しそうな切ない表情を浮かべる三上の顔。
その瞳に吸い込まれていくかのように、身動きが取れなかった。
彼の顔が近づいてくるのもきっと、頭ではわかっていたのに。
それはクラスの女子が話しているような、甘いものじゃなく、優しいものでもない。
ただただ乱暴に、押し付けるような口付けだった。
「やめろ。」
「・・・みか・・・」
「やめろ、。」
言葉は何も紡げなかった。
彼の行動の意味もわからなかったし、一体何に対して止めろと言うのかもわからなかった。
渋沢くんと付き合うことを?過去を無くそうとしていることを?嘘をつき続けることを?
以前、思ったことがある。
嘘でかためた自分を否定されても、傷つかないのは当然だと。
だから、きっとその逆もあるんだろう。
どんな感情であれ本当の私に向けられた言葉は、こんなにも私の心を揺るがすんだ。
三上は本当の私を見てる。
本当の私を・・・
「お前は俺の下僕だ。勝手なことしてんじゃねえよ。」
・・・下僕・・・?
ああ、そうだ。私は彼に嫌われてる。
三上は本当の私を知ってる。だからこそ私を嫌ってる。
心配なんかしていたわけがない。当たり前だ。
私が嫌いだから、勝手な行動を取る私が許せない。
他に感情なんてない。
ただ、それだけ。
「・・・なに・・・」
「?」
「・・・なんだよっ・・・なんで・・・」
三上が私の顔を見て、呆然としたように固まった。
そして顔を背けるとすぐに立ち上がり、体育倉庫から出て行く。
私は彼のその行動をぼんやりと眺めながら、
ようやく自分の顔が濡れ、視界がぼやけていることに気づいた。
「・・・っ・・・くっ・・・」
理由なんてわからなかった。それが悲しさなのか、別の理由なのかすら。
だから私は、次々と溢れ出す涙をただ拭うことしか出来なかった。
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