「、これ。」
「・・・うん、わかったよ三上くん。」
三上が表情も変えずに、私に1冊のノートを差し出す。
私がニッコリと笑って、理解したように頷きそれを受け取ると
もう用はないとでもいうように、すぐにその場から去っていく。
「あれ?どうしたの。それ何?」
「ん?この間、三上くんにノートを貸してたから。」
「それであの返し方?三上最低ー!私が言ってきてあげようか?」
「ううん、いいよ。別にお礼言ってほしいわけでもないしね。」
「は大人だなあ。」
その言葉にまた笑みを浮かべると友達もそれに応えるように笑い、和やかな空気が流れる。
目の前の友達は思ってもみないだろう。このノートの中身は、今日の授業の宿題だということ。
お願いの一言もなしに、当たり前だとでもいうように私にノートを渡していった三上に
はらわたが煮えくり返ってることも。
戦う少年少女
私だって過去のことを後悔はしているんだ。
三上が私に怒っていることも、復讐のつもりでこんなことをしてるのだってわかってる。
だからしばらくは彼の言うとおりにしていた。頼まれればパシリもやるし、宿題も、係りの仕事もこなした。
けれど三上はそれが楽しくなってきてるのか、頼むことがどんどんと増えてきている。
たまに文句を言ってみれば、写真をチラつかせてお前の正体をバラすぞと脅す。
そりゃあいくら自業自得だと言ったって、イラつくのも、怒るのも当然だろう。
「三上、いつまで続けるの?」
三上と二人で話すときは、専ら学校の屋上だ。
人気のないここで、彼の頼まれごとを引き受けたり、ノートを渡したりする。
私はなるべく三上との関わりを知られたくないからそうしてるのだけれど、
三上本人は皆の目の前で堂々とノートを渡してきたりする。それもかなり腹立たしく思う理由のひとつだ。
「いつ呼び捨てにしていいって言ったよ。俺の気が済むまでに決まってんだろ。」
「アンタだって人の名前呼び捨てにしてるじゃない。それっていつよ。」
「じゃあ前みたくサマって呼んでやろうか?」
「・・・いいわよ、で。呼び捨てにしてすみませんねえ三上クン。」
「・・・俺も三上でいい。お前に君付けされるほど気色悪いものはねえ。」
「じゃあ文句言わないでよ・・・ていうか私、今までずっとそう呼んでたんですけど。」
「だからずっと気色悪かったっつーの。」
人を傷つけてばかりいた、昔の自分から変わろうとしていた。
けれど、人間そんなに簡単に変われるわけがない。
だから私はずっと演じていた。自分は優等生にはなれないと知っていたから、
それを演じるしかなかった。
でも、三上には私の根本の性格を知られているから。
優等生を演じようとしても、彼には通じないし、すぐに見破られる。
それがわかってしまっているから、私は彼の前では徐々に優等生の仮面を外し始めていた。
「・・・三上。」
「何だよ。」
「昔は私・・・アンタのこと何て呼んでた?」
この生活から抜け出すためには、写真の奪取と三上の正体を知ることからだろう。
たとえば三上が私が負かしたその他大勢のうちの一人だったとしても、
話を聞いているうちに三上の記憶を思い出すかもしれない。
そしてそれは、この生活から抜け出すきっかけにもなるかもしれない。
思えば私はあの頃、周りの子たちの名前をちゃんと呼んでなかった。
同じ学校の様々な学年から、違う学校の生徒までたくさんの人間がいて
名前を覚えるのも面倒になり、適当なあだ名をつけて呼んでいたんだ。
違う学年、違う小学校の子は特にフルネームをちゃんと知っている数の方が少ない。
けれどその時のあだ名からならば、思い出せるかもしれない。
「・・・どうだっていいだろ、そんなの。」
「え?何で?別にいいじゃない。」
「うるせえな!自分で思い出せよバカ女!」
「バッ・・・」
思わずその倍くらいの言葉を返してやりたいと思ったけれど、
そんなことをして、これ以上要求がエスカレートされても嫌だ。
私はぐっとこらえて、言葉を飲み込む。
「で、ノートは。」
「持ってきてる。ハイ、どうぞ。」
「間違ってねえだろうな。」
「私を誰だと思ってるのよ。」
「猫かぶり。凶暴女。女番長。」
「・・・それ、皆の前で言ったらぶっとばすわよ。」
「は、できるもんならやってみな。」
ノートを受け取ると、三上はまた楽しそうに笑ってその場を去っていった。
本当にいつまでこのパシリ生活が続くのか。下手したら高校卒業するまでずっとじゃないのだろうか。
正直なところ、早くアイツを思い出して弱みでも何でも見つけて解放されたい。
元は私が悪いと思っていても、物事には限度というものがあるはずだ。
人の弱みに付け込んで、脅してパシリにするなんて、まるであの頃の・・・
「ああ、もう・・・。」
それはあの頃の私だ。
私はきっと、何人もをこんな気持ちにさせてきたんだろう。
昔の自分があまりにもバカで情けなくなってくる。
家に帰って、もう何度も読み返した卒業アルバムを開いた。
『三上亮』という名前を何度も探したけれど、その名前はどこのクラスにも乗っていなかった。
ということは、三上は私とは別の学校の人間だ。つまり、それ以上探しようがない。
自分で三上のことを思い出すしかないのだ。
「俺はお前が大嫌いだ。」
知ってるよ、そんなこと。
わざわざこんな風に人を脅してまで復讐したいって思ってるんでしょう?
自分だってわかってるよ、自業自得だって。
小学生のあの頃は・・・皆そう思ってたんだろうなあ。
『おい聞いた?!、転校だって!!』
『うっそ!!マジかよ!!』
それを聞いたのは偶然だった。
私が親の都合でその地域から引っ越すという話をしようとする直前。
おそらく親から親に伝わり、そこから得ただろう情報を嬉々としながら話し出していた。
『これでやっとあの暴力女から解放されるー!』
『やったー!行け!とっとと引っ越せ!』
『アイツの見送り、誰も行くなよ!って、誰も行くわけねえか!』
『これでやっと平穏な生活が送れるー!せいせいすんぜ!』
お前ら何影でコソコソ人の悪口言ってんだ。
誰が暴力女だ。それに誰が呼び捨てにしていいって言った?
お前らなんて負け犬だ。負けっぱなしの奴らが徒党組んで強がってんじゃねえよ。
いつもだったらきっとそう言って、また理不尽な力であいつらを抑えつけたんだろう。
でも、その時の私は口をパクパクと動かすだけで、あいつらの前に出ようとするだけで
声を出すことも、奴らに近づく1歩も踏み出せなかった。
それまでずっと力が全てだと思っていた。
だから、親しい友達も作らなかった。自分は強いから、そんなもの必要ないと思ってた。
けれど、その結果は誰一人惜しんでくれない自分の存在。
『あ、パーティーでもするか?アイツ抜きで、おめでとうパーティー!』
いなくなることが、喜ばれる自分の存在。
気付けばそこから走り出していた。
自分の悪口をいい、楽しそうに話す奴ら。
力で抑え込んできた繋がりはあまりに脆かった。
そんなものいらないと思い込んできた、誰かとの繋がり。
それが本当に自分にはなかったのだと思い知らされた。
いらないと思っていたもののはずなのに、何故だか涙が浮かんだ。
初めて自分が世界の中心じゃないのだと知った。
傷つけられる痛みを知った。
今まで知らなかった痛みが、一気に襲ってくるかのようで
私は誰もいない土手で一人、泣き続けた。
「・・・しまった、寝てた・・・。」
ベッドに卒業アルバムを広げたまま、いつの間にか寝てしまったらしい。
しかも制服のままだったから、少し皺になってしまっている。
「・・・久しぶりに見たな・・・。あの頃の夢・・・。」
目が覚めた今でも、胸がズキズキと痛んでいる。
あの頃の夢を見るといつもこうだ。あの痛みを忘れたことはない。
だから私は優等生を演じ続ける。
もう必要とされない人間になんてなりたくないから。
何も繋がりのない人間になんてなりたくないから。
たくさんの人の、体も心も傷つけた苦い思い出。
三上も私が傷つけてしまった一人なんだろう。
人を脅して、自分の好き勝手にして、こきつかうようなひどい奴。まるで昔の私みたいな奴。
私がきっと傷つけてしまったのに、昔の彼を思い出すことさえできていない。
高校生活ずっと、彼の言いなりになるのはゴメンだ。
けれど、それとは別に彼のことを思い出したいとも思う。
私の過去を知る今唯一の人。
私のことを恨んでいると、嫌いだと言い放った。私は彼をどう傷つけたのかも覚えていない。
三上の言葉を思い出し、また胸が痛みだす。
私が少しでも思い出すことができたなら、彼が誰なのかたどり着くことができたなら
私の心も、彼の心も少しは晴れるだろうか。
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