眠さも最高潮になる昼休み直後の授業。目をこすりながら耐え抜いた時間が、チャイムとともに終了する。
その音を合図に私の意識は覚醒し、先ほどの眠気など吹き飛ばすように席を立つ。
クラス替えで仲の良かった友達と離れ離れになってしまったときは悲しんだものだが、
今となっては、このクラスであったことがどんなに幸せだったかを噛みしめていたりもする。





「翼くん!」

、今日も元気だね。」





それというのも、目の前で穏やかに笑みを浮かべる彼のおかげだ。
今のクラスがつまらないわけでも、居心地が悪いというわけでもないけれど、いくつかの不満や不安があることも事実。
何かと厳しくて暑苦しい担任、アホなことばかり繰り返して騒ぐ男子たち、一部の怖くて近寄りがたい女子、やかましすぎる親戚。
そんな中で、このクラスに転入してきた椎名翼くんは、例えるならばそう、凛々しく美しく咲く一輪の花。私たちの前に舞い降りた天使だった。





「なあなあ翼・・・って、うげ、やん!」

「うげって何!私が先に翼くんに話しかけたんだからね!」

「どうせお前の用なんて、いつもどおりのくだらないことやろ?」

「くだらなくないもん!今日は翼くんと日直なの!」

「そんなん一人でも出来るやろ!俺は翼と部活の話をしたいねん!」

「それこそ別に今じゃなくたっていいじゃん!ていうか、昼休み一緒にお昼食べてるなら、そこで話せ!」

「うっかり忘れてもうたんやからしゃあないやろ!どけ!」

「うっさい忘れるな!サル!」

「誰がサルや!」





翼くんと日直だなんて、なんという幸運だと思っていたのに。
その貴重で幸せな時間も、吠えるような怒鳴るような、必要以上の大きな声に邪魔される。
そこにいたサル・・・じゃなかった、井上直樹は不本意ながら私の遠縁の親戚であり、ご近所さんでもある。





「・・・あのさ、二人とも。」

「「何?」」

「うるさいから、どっか行ってやれ。」

「「!!」」





笑顔を浮かべながらも突き刺すような一言に、私たちは言葉を失う。
直樹と一緒にいるだけで、妙な性格とでも思われたら心外だ。
翼くんには、もっとしっかりとした自分を見せたいと、いつも思っているのに。















それを恋と呼ぶならば
















「しっかりした自分ってなんやねん。
アホで、口うるさくて、女らしさのかけらもない自分を堂々と見せればええやないか。」

「直樹は正直でいいよね。
やかましくて、かっこつけるくせに決まらなくて、大きいこという割に肝が小さい自分を堂々と見せてるもんね。」

「なんやと!?」

「なによ!!」

「大体、誰のおかげで翼と話せるようになったと思ってんねん。ほれ、言うてみ。」

「私の努力?」

「部活が同じ俺のおかげやろ!?なに堂々と嘘ついとんねん!」

「違うもん!翼くんと話したときに、たまたまアンタが近くにいただけだもん!」

「ふ、まあええ。お前がどんなに翼を好きでも、俺と翼の仲には叶わへんやろうしな。」

「え、ちょっとアンタ、翼くんがいくら可愛いからってそんな禁断の道に・・・」

「ちゃうわー!お前の頭の中どうなっとんねん!!」





翼くんが私たちの学校に転入してきたとき、クラス中騒然となった。
超進学校の麻城中学から来た、ということもあるけれど、彼の容姿や人格が他の人よりも良い意味で飛びぬけていたからだ。
多くの人が翼くんと仲良くなりたいと思っただろう。彼に近づこうとしただろう。
しかし、翼くんが選んだのは、不良と呼ばれていた問題児たちとサッカー部を創る道だった。

そのメンバーのうちの一人だったのが、直樹だった。
最初は翼くんに悪態をついていたくせに、いつの間にか一緒に部を創るまでになっていたのだから不思議だ。
直樹は私よりもずっと運がいいと思う。ちくしょう、直樹のくせに羨ましい。





「ていうか、なんで私はアンタと帰るはめになっているの?」

「帰る方向が同じだからやろ。」

「私は翼くんと帰りたかったのー!アンタとじゃない!なぜ翼くんがここにいないの!?」

「用事がある言うて、柾輝と帰ってったな。」

「黒川くん!?いやああ!私もそこに入れてー!」

「お前はホンマにアホやなー。」

「!!」

「な、なんや!?」

「直樹にアホって言われるとか・・・本気で泣きそう・・・」

「お前どついたろか!?」





結局いつの間にかいつもの日常に引き戻されてる。けれど、毎日に翼くんがいるだけで、その光景は違って見える。
認めるのは癪だけれど、直樹の親戚という立場は、翼くんに話しかけるきっかけとして、とても有効なものなのだ。





「明日も翼くんと話せるの楽しみにしよっと!」

「またバカにされるのがオチやで。」

「翼くんにならバカにされたい。」

「アホやー!やっぱりアホやこいつー!!」





ああ、今日も直樹はやかましい。
けれど、今の私には翼くんという強い味方がいるのだ。直樹の戯言なんて、広い心で受け流してあげよう。
そう、私の日常は翼くんのおかげで、一段と輝くようになったのだ。


















、これ借りてたノート。ありがとう。」

「いいえー。もっと借りててもよかったのに。」

「充分。いつも思うけど、意外と綺麗に書かれてるよね。」

「意外とってひどいなー。まあサッカー部が公休のときは、いつも以上に張り切ってノートとってるけどね!」

「そういえばあいつらはノート・・・」

「貸してほしいという素振りすら見せません。なんていうかもう、サルだからね!畑くんも毒されてるよね!」

「・・・はあ。もうあいつらは勝手にしてればいいんじゃない?ところで、」

「うん?」

「何かお礼でもしようか?」





翼くんのまさかの申し出に、一瞬時が止まってしまった。
そりゃ私だって、翼くんの役に立って、あわよくば仲良くなれたらいい、なんて邪な気持ちを持っていたわけだけど。
けど、翼くんからお礼だなんて、お礼だなんて・・・いいの?普通に乗っかっちゃっていいの!?





「・・・あ、あの、」

「ん?」

「どうしよう。まさかのご褒美に何も考え付かない!」

「ご褒美って・・・相変わらず言動と思考が誰かさんに似てるっていうか・・・」

「え?ごめん、聞こえてなかった!」

「なんでもない。それじゃあ今度何かおごるよ。それでどう?」

「はい!光栄です!」

「っ・・・そこまで言ってもらえて僕も光栄だね。」





翼くんが私の目の前で笑う。
よく目にする大人びた笑みではなく、吹き出すように笑って、表情にそれが見てとれる子供のような顔。
そんな彼の姿がなんだか嬉しくて、ふわふわとした気持ちで眺めていた。





「どないしたん、翼?がまたおかしなことでも言うたか?」

「おかしなことって何よ!こっち来んな直樹!」

「楽しそうだな二人とも。」

「そうなの畑くん!めっちゃ楽しい!」

「おお、そ、それはよかった。」





翼くんと二人の時間をまたもや縮めようとする、聞きなれた声に思わず反応して言葉を返す。
一緒にいる畑くんは誰かさんと違って、私をバカにしないし、静かに話を聞いてくれる良い人なのに。





「五助ひいとるやんけ。お前一人でテンションあげすぎや。」

「うっさいサル!」

「なんで俺にだけ乱暴やねん!」

「ふはっ・・・」

「翼?」

「いや、なんていうかって本当・・・」

「え、なになに?」

「アホ?」

「直樹!ぶっとばす!」





いつもどおり、うるさいとか、どこかに行けなんて台詞を言われるのだろうと思ったけれど、
その次に聞こえた言葉は、耳を疑うものだった。

それは悪い意味ではなく、









「可愛いよね。」










昼間から自分の妄想が具現化したのかと思った。
ちょっと待って待って。これは夢じゃないよね?白昼夢?いやいや違うよね?





「・・・翼がおかしくなった・・・!どないしたんや!」

「いや、別に?」

「あ、さんがかたまってる」

「ほれ見い!免疫がないこと言われたから、ネジがどっか飛んでいったわ!」

「そんなこと言われても。」

!しっかりするんや!今のは夢やで!お前が可愛いとかないからな!
お前はアホで女らしさのかけらもなくて変な顔ばっかし・・・ぐふぁ!!」

「・・・夢じゃない!」

「俺を殴って確認すんなや!!」





ああ、今日はなんて素敵な日だろう!
これで横にいる奴がぎゃあぎゃあわめいてなければ、もっともっと素敵なんだけどなあ。



















「これは、恋かもしれない・・・!」

「あほか。」

「だからなんでアンタがいるの!人の独り言につっこまないでくださる!?」

「ちょっとええこと言われたからって調子乗りすぎやねん。」

「こんな素敵な気持ちになるのね。ああ、恋って素晴らしい!」

「お前、相手わかって言うてるか?翼やぞ?あの椎名翼やぞ?」

「わかってますー!容姿端麗、頭脳明晰、かっこ可愛い翼くんでしょ!」





サッカー部の部活を遠巻きに見学していれば、帰る時間帯もサッカー部と近くなる。
翼くんと一緒に帰れればなんて夢も見るけど、それが実現したことはほとんどなく、
結局は近所に住む直樹と帰ることが多い。





「言うておくけど。」

「何。」

「翼、負けず嫌いで意地っ張りやで。」

「ん?」

「初対面できついこと言うのは当然やし、慣れてきたらもっと容赦ない。」

「何が言いたいの?」

「お前が好き言うてるのは、外面のいい優しい翼くんやろ?」

「違いますー。私、翼くんにならバカにされてもいいって言ったじゃん。」

「翼は俺が認めた男や。」

「そりゃいくら直樹だって認めるしかないでしょ。あれだけの人なん・・・」

「お前の手に負える男やないわ。」

「!」





直樹の口が悪いのは今に始まったことじゃない。
いつもなら、またアホなこと言ってるとか、戯言だって流して終わっていたけれど、今のはさすがに聞き捨てならない。





「なんでアンタにそこまで言われないといけないの!直樹が翼くんの何を知ってるの!?」

「少なくともお前よりは知っとるし。」

「そうだとしても、わざわざ人の恋路を邪魔するようなこと言わないでくれる?」

「じゃあ聞くけどな!」

「な、何よ!」

「お前、ホンマに翼のこと好きか!?」

「はい!?」

「本当の本気で翼のこと好きなんやな!?めっちゃ好きなんやな!?ラブやな!?」

「な、ななな、何なの!今日の直樹おかしい!あ、違う、いつもおかしいけど、いつも以上に変!!」

「そこ言い直す必要ないやろ!?」

「とにかく!直樹には関係ないんだから、ほっといてよ!アホ!サル!」

「だからなんでお前は俺にだけ口悪いねん!!」





まるで捨て台詞のような言葉を投げつけ、その場から走り去り、家へと駆け込んだ。
びっくりした。いつも喧嘩しているとはいえ、妙な空気が流れた気がした。
いつもふざけてばっかりのくせに、今日の直樹はどうしたって言うんだろう。
急に真面目な顔をされても、対応に困るに決まってるじゃないか。

素敵な一日だったはずなのに、直樹のせいで台無しだ。
翼くんを思い出したかったのに、浮かんでくるのは直樹の言葉と、似合わない真剣な表情だった。







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