ちゃん!久しぶり!元気だった?!」





誰もが和むだろう爽やかな笑顔で、私に何気ない挨拶をする。
間違いなく彼はたくさんの人に好かれてる。
だけど、私は。





「最近会わなかったから、俺寂しかったよー?」





子犬のように寂しげな表情を向けている彼が、
たくさんの人に愛される彼のことが苦手だった。



















好きと苦手の境界線





















武蔵森学園中等部。ここは1年の教室。
私はその教室で、多くの視線を浴びながら学園のアイドルとも言えそうな二人に囲まれていた。





「はい。これ読みたかったって言ってたよね?」

「う、うん。ありがと。お兄ちゃん。」





綺麗な装丁のその本を手渡してくれたのは、私の実の兄である笠井竹己。
名門武蔵森サッカー部の1軍レギュラーでDFをしている。
私たちの家は電車で通える距離ではあるのだけど、お兄ちゃんは学園の寮に入っている。
だからわざわざ私のクラスまで来て、私が読みたいと言っていた本を渡しにきてくれたというわけだ。
落ち着いていて、優しくて。私の自慢の兄。





ちゃんそれ読むんだ?すっごいねー!タクが読んでるとこは見たけど、すごい字がたくさんあったよ?」





その兄の後ろから、本を覗き込んでいるのは兄の友達の藤代誠二先輩。
言わずと知れた、武蔵森サッカー部のエースストライカー。
人懐っこいその性格と、サッカーをしているときの格好よさから男女問わず大人気の先輩だ。
お兄ちゃんもそれなりの人気があるけれど、この藤代先輩ほどじゃない。





「いえ・・・あの、本好きなので・・・。」





屈託のない笑顔で話す先輩に対して、私は顔を俯け、そっけないとも取れる返事を返す。
そんな私の態度にもお構い無しに、先輩は話を続ける。
・・・皆の、特に女子からの視線が痛い。

私は昔から人見知りで、家で一人で遊んでいるような子で。
はっきり言うと、目立つことが嫌いだった。
クラスでも名前を覚えてもらえているかもらえていないか。
周りの皆の中に埋もれてしまう存在。けれど私はそれでよかった。

それなのに。





「でさー!三上先輩に殴られたんだよね!ちゃんもいじめられないように気をつけてね!」

「藤代先輩ーっ。そんなこと言って、三上先輩に言いつけちゃいますよ〜?」

「わわっ!それは勘弁!絶対秘密なー?!」





藤代先輩の言葉に反応したのは、私ではなく近くの席にいたクラスメイト。
クラスメイトが藤代先輩に話しかけたのをきっかけにして、周りに人が集まってくる。

藤代先輩は私とは正反対の位置にいる人間。
彼が何もしなくたって、周りに人が集まる。
どうしたって目立つ存在。





ちゃん!」

「はっ・・・はい?」

「どうしたのボーっとしちゃって?」

「え・・・と・・・何でもないです・・・。」

「そ?じゃタク、そろそろ戻るか!」

「そうだね。じゃあ、またね。」

「じゃあねちゃん!また来るから!!」





大きく手を振って、やっぱり笑顔でその場を去っていく。
横ではクラスメイトが藤代先輩に倣って、大げさな位に体いっぱいを使って手を振っていた。
私はそのクラスメイトの横で、静かに二人を見送った。





「いいなぁ笠井さん。笠井先輩の妹だから、藤代先輩にも可愛がってもらえてー。」

「別に・・・可愛がってなんて・・・。」

「可愛がってもらってるって!いいなあー!!
あ!そうだ!!笠井さん、藤代先輩のタイプとかって聞いてない?」

「・・・そんなの、知らないよ・・・。」

「・・・そ。ま、いいや。」





そう返すと、つまらなそうな顔をして彼女は自分の席へと戻っていった。
元々人見知りで口下手で。彼女のようなタイプの友達はいなかった。
彼女も藤代先輩のことがなければ、私に話しかけたりしないのだろう。

藤代先輩のことが嫌いなわけじゃない。
だけど、先輩はあまりに人目を惹きつけすぎる存在で。
彼の近くにいることは、私にとって居心地のいい場所ではなかった。

お兄ちゃんの友達だから、何度も会うし、何度も話しかけられるのだけど。
その度に集まる周りの視線。たくさんの声。
皆が藤代先輩に目を奪われているのに、
それでも私にとってその状況は、苦手以外の何者でもなかった。























「冬休みなのに悪いわね。」

「いえ。大丈夫ですよ。」





たくさんの本を抱え、世間では冬休みだと言うのに私は学校へ来ていた。
大量にある図書室の本を整理するためだ。
なぜ私がこんなところにいるのかと言えば、自分が図書室の常連だから・・・とでも言えるだろうか。
冬休み前に図書室の管理者でもある、自分の担任と話す機会があった。
そこで、年末の本の整理作業が大変だという話を聞き、自ら整理の手伝いを買って出た。
多分、学校で一番図書室を利用してるのは自分って言っても過言ではないと思うし・・・。





「年末の忙しい時期なのに、本当に大丈夫だったの?」

「はい。特に予定もなかったですし・・・。」





たくさんの本を抱えながら、先生は「あらー。」と声をあげた。
だって家の大掃除は終えているし、私の数少ない友達は家族と海外旅行中だ。
どこに出かける予定もない。今だってこの仕事がなければ、家で本でも読んでいたのだろう。

だからと言って、友達がいなくてもクリスマスは家族と過ごしたし、寂しいわけでもない。
年越しも今年は両親が旅行に出かけてしまうけれど、お兄ちゃんがいてくれるって言ってた。
私にとっては何の問題もないんだよね。





「まあまだ中学1年だものね。これからよ!これから!」

「はあ・・・。」





本を抱えたまま、うんうんと頷きながら妙に気合の入った先生の言葉に
逆に気の抜けるような返事を返してしまった。
これから・・・?何がこれからなんだろう?

先生の言葉に疑問を持ちつつも、たいして気にもせずに本の整理を始めた。
黙々と作業を進め、日の暮れだす頃には目的だった場所と一部の本棚がすっきりと片付いた。
さすがに全部と言うわけにはいかなかったけれど、目標は達成した。
これで来年も心置きなく図書室を使わせてもらおう。





「じゃあ私、これを焼却炉に持っていきますね。」

「わかったわ。じゃあ私は余り分を片付けておくわね。」





ゴミ袋を持って、図書室を出る。
ふと廊下から外の景色を見てみると、綺麗な夕焼けの中サッカー部が練習に励んでいた。
年末のギリギリまで練習なんて、さすが強豪と言われるサッカー部だ。
あ、お兄ちゃんが見える。・・・やっぱり格好いいなぁ。
妹ながらにそう思えてしまう。ブラコンって言われたとしても否定はできないよね。

そして前を向くと、そこには何人かの生徒。
そういえば冬休みは補習の必要のある生徒が呼び出されてた気がする。
今から帰るところのようだ。
そうだ。私もお兄ちゃんを待っていようか。
今は家に帰ってきてるわけだし、一緒の家に帰るのだから問題はないだろう。
でも友達と帰るのかもしれないし、迷惑かなぁ・・・。





「あー!!ちゃーーーん!!」

「?!」





一人で思考を巡らせているところに突然名前を呼ばれて、思考が停止する。
そのあまりに大きな声に、前を歩いていた数人の生徒までが私の後ろを見た。
私も思考と一緒に固まっていた体と顔を、その声の方向へと向ける。





「何で学校にいるの?!」

「あ・・・藤代先輩・・・。」

「俺?俺は補習!監督に怒られちゃったよ!
武蔵森のエースが補習なんて何事だー!って。仕方ないじゃんね?俺、勉強嫌いだしさ!」





私が言葉を終えるまでもなく、私の聞きたかったことを悟って
藤代先輩が話を始める。





「今日はサッカー部の練習にも参加できなかったから、つまんないんだよね。・・・ホラ。終わっちゃった。」





窓の外から笛の音が聞こえる。
どうやらあれが部活終了の合図のようだ。
たくさんの部員がサッカー部監督へと集まっていく。

「あー!」とか「ちくしょー!」とか「補習なんて何でしなきゃなんないんだよー!」とか。
外のサッカー部を見ながら藤代先輩が表情をコロコロと変えて叫ぶ。
私の前にいた数人の生徒も、そんな藤代先輩を見ながらクスクスと笑っている。
やっぱりどこにいたってこの人は目立つ人なんだよね・・・。





「ね!ひどいよね!ちゃん!!」

「はっ・・・はい!」

「だよねー!さっすがちゃん!!」





藤代先輩は満面の笑みを浮かべて、私の肩をポンポンと何度も叩いた。
勢いに押されて返事をしてしまっただけなんだけど・・・。
そんな私にあまり良いとは思えない視線が突き刺さる。
視線が痛い。・・・変な目で見られないうちに、話を終えて早くゴミを捨てに行こう。





「で?ちゃんはどうしたの?」

「え?」

「何で学校にいるのかって話!そんなゴミ袋持って・・・掃除?」

「・・・あの、図書室の本の整理の手伝いをしに・・・。」

「うえー!その為に来たの?ちゃんは偉いね!」

「偉くなんて・・・ないですよ?じゃあ私これを捨てにいかなきゃならないので・・・ってええ?!」





話を終えようとした私の言葉を遮って、藤代先輩が私の手からゴミ袋をひったくった。
慌てる私をよそに、先輩はいかにも楽しそうって顔をしてる。
ていうか先輩はいつも楽しそうではあるのだけど。





「俺も一緒に捨てに行くよ!サッカー部の練習終わっちゃったし!」

「そんなっ・・・いいですってば・・・。」





ああ。視線が痛い。痛すぎる・・・。
藤代先輩は自分の人気とか、もうちょっと自覚した方がいいと思う。
数人しか見ていないとはいえ、人の噂って怖いんですよ?呼び出しとかされるんですよ?
私は地味でいいから、何のトラブルもなく平和に生きていきたいっていうのに。





「笠井さん?あら。藤代くん。」

「あ、先生!こんちわっす!」

「これも捨ててもらおうと思って持ってきたんだけど・・・二人でゴミ袋引っ張りあって、何してたの?」

「先生っすか?!ちゃんをこき使ってたのって!」

「あら!人聞きの悪いこと言わないでよ!ねえ笠井さん!」

「そ、そうですっ。私が自分からするって・・・」

「冗談っすよ冗談。ちゃんも本気にしなーい!」





ケラケラと笑って、先生とだって楽しげに話す。
そして、笑いながら先輩がここにいた理由とゴミ袋を引っ張りあっていた理由を告げる。





「いいじゃない。じゃあ藤代くんに頼んじゃいましょ!笠井さんは今日は仕事終わり!」

「ええ?」

「マジすか?!ま、いいっすけどね!貸しだからね先生!」

「いいわよ?今度いくらでも本を貸すことで返してあげるわ。」

「うお?!お気持ちだけありがたくもらっときまーす!」





そう言うと先輩は未だゴミ袋を掴んでいる私の手をほどこうと、私の手に触れる。
私は慌ててゴミ袋から手を離した。先輩は私のその行動にまた笑みを浮かべる。





「じゃちゃんの為に行って来るか!じゃあねちゃん。また大晦日に!」

「・・・え?」





先輩はゴミ袋を自分の肩に担ぎ上げて、鼻唄を歌いながら焼却炉の方へと歩き出した。
私はその姿を見送りながらも、先輩が残した最後の言葉を頭の中でもう一度繰り返す。・・・今、大晦日って言った?





「大晦日?藤代くんと遊ぶの?予定あるじゃないの!」

「ち・・・違いますよ!私とじゃなくて・・・!私そんなの知らないですもん!!」

「じゃあお兄さんの方かしらね?」

「そうですよ。きっと・・・お兄ちゃんと・・・。」





それしか考えられない。
大晦日はお兄ちゃんと遊ぶってことなのかな。
でもお兄ちゃん・・・年越しは一緒にいるって言ってたんだけどなぁ。
友達付き合いだってあるんだし、仕方ないよね・・・。

ちょっと寂しい気はするけど、私は一人の時間も好きだし。
お兄ちゃんに聞いてみよう。
お兄ちゃんは優しいから、私に気を遣ってしまう気がする。
私は大丈夫だから、友達と遊んでって言ってあげなくちゃ。



私も中学生なんだし、少しは大人にならないとね。
そんなことを考えながら一人で納得し、頷く。



これから兄に告げようとしたその言葉が、
私の望んだ平穏な年越しを脅かすものになることにも気づかずに。







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