落ちてきた天使
― そんなぼくの日常 ― 「ハイ、アナタ、行ってらっしゃい。」 「・・・。」 「ふふ、そんな照れてないで行ってきますのキスくらいくれたっていいのよ?」 ただいま朝の7時。慌しい時間帯のはずなのに、満面の笑みを浮かべるその人の周りには能天気な空気が流れてる。 反対にそんな雰囲気にのまれることもなく、全く表情を変えないもう一人。 「行ってきます。」 「ちょ、ちょっと待ってアナタ!行ってきますの・・・」 「は?」 「だから行ってきますの・・・」 「何?」 「・・・うわーん!ちょっと奥様ぶってみたかっただけなのに何その蔑みの目! 可愛い妻に向ける目じゃないよねー?!朝から英士のエス!英士エス!」 「が気色悪いことするからでしょ。ていうか朝から変なこと言うのやめてくれる? 1日分の疲れがどっとくる。」 「1日分?!今ので?! ってちょっと待って!今の気色悪いの?!え?!私の愛の表現のどこが気色悪いの?!」 「じゃあね。」 「スルー?!スルーするのは試合だけでいいのよー!!」 そんな声を無視して、扉が開かれこちらを振り向くこともなく家を出て行く。 残された方は置いていかれた悲劇のヒロインのように、「英士〜!」と叫びながらフラフラと壁にもたれかかった。 「うう、今日も冷たい・・・。でもそれが英士。それが私の愛する人・・・。」 一人になってもまだ続けるってすごく痛いよこの人と思いつつ、静かにそこから立ち去ろうとすると 運悪く足音に気づかれてしまった。それと同時に彼女が勢いよくこちらを向く。 「ふふ、なーにやってるの〜?お父さんとお母さんのラブラブを邪魔しちゃダメなんだからね!」 「邪魔も何もどこにラブラブがあったの?」 「ぐはっ・・・!あ、あったんだからね!わかりづらいだけで!!」 「おかあさんこそおとうさんの邪魔するのは止めなよ。」 「この子は・・・!いつの間にこんなに英士に似ちゃったの?!でもそんなはっきり言うところがすき!!」 訳のわからない理由でいつの間にか抱きしめられるのも日常茶飯事。 騒がしい母と冷静な父。対照的な二人が何で結婚したのかいまいち理解できない。 抱きしめられながら小さくため息をつくと、どうかしたのと大げさに心配された。 いつもテンション高いお母さんに疲れてるって言ったら、また騒ぎそうだから何でもないと答えた。 「かっくんちのおとうさんってサッカー選手だろ?」 「うん。」 「いいな、かっけー!うちなんてふつーの会社員だぜ!」 ぼくのおとうさんはプロサッカー選手だ。 名字も珍しいから自分の自己紹介をしたときにサッカー好きの子に「郭選手と同じ名前だ」なんて言われることもある。 まあ親子なんだから当たり前なんだけど、そんなときぼくはすごく嬉しい気持ちになる。 冷静でサッカーがうまくてみんなに羨ましがられるおとうさん。かっこよくて、強くて、ぼくはおとうさんが大好きだ。 「あれ、かっくん!あれ、かっくんちのおばさんじゃね?あと・・・あー!郭選手もいるー!!」 「本当だ!かっけー!!」 友達との帰り道、買い物帰りのおとうさんとおかあさんに会った。 そうだ、今日はおとうさんは休みだったんだ。そう思い出しつつ友達が駆け寄るのと一緒にぼくも走った。 「おとうさん!買い物?!」 「あれー?お母さんに挨拶はー?!」 「うん、が荷物が持てないってうるさいから。怪力のくせにね。」 「英士英士、この子お母さんに挨拶がないです。お父さんの威厳でしつけてやって!そして怪力は余計よ!」 「おとうさん疲れてるんじゃないの?ダメだろおかあさん、何でもっとおとうさんをいたわってあげないの?!」 「ええ?!何で私が怒られてるの?!」 「が怒られるようなことしたからじゃない?」 「ええ!何?!私何もしてないのにー!英士と一緒にお買い物したかっただけなのにー!」 ぼくはおとうさんが持つ荷物を強引にひとつ持ち、その隣に並ぶ。 え?おかあさん?おかあさんはいいよ、無駄に怪力だから。 「かっくんかっくん。」 「あ、うん。おとうさん、ぼくの友達。」 「「こんにちはー!」」 「ああ、こんにちは。」 「郭選手に会えるなんて感激です!」 「かっくんいいなーって思ってたんです!」 「あはは、ありがとう。」 「それで、あの、今度サッカー教えてくれませんか!かっくんと一緒に!」 「そうだね、じゃあ今度。」 「「やったー!」」 いつも先生に逆らってばっかりの奴らなのに、おとうさんの前ではこんなに緊張して。 いい子のふりまでして。思わず笑ってしまったけれど、おとうさんはこんなかっこいいんだ、うん、仕方ない。 「じゃあなかっくん!また明日な!」 「うん、明日ね。」 途中から道の違う友達に手をふって、おとうさんとおかあさんと三人で歩く。 おとうさんの方を見上げると、その視線の先には先ほどから喋らなくなっていたおかあさん。 「・・・。」 「べ、別に落ち込んでないからね!英士ばっかり人気で私なんてお友達の目にも入ってなかったなんて・・・! だからなぐさめてくれなくたっていいんだからね!」 なぐさめてもらう気満々だ。 こういうところを見てると、おかあさんって本当に大人なのかって思ってしまう。 「いつ、かっくんなんて呼ばせた?」 「ええ?!そっち?!ていうかなんで私?!」 「前に違う友達に会ったときは名前で呼ばれてたよね?」 「今の子たちが勝手に呼んだだけかもしれないじゃない!どうして私を疑うの?!」 なんだ・・・?二人が何を話してておとうさんが怒ってて、おかあさんが慌てているのかがわからない。 ぼくは疑問の表情を浮かべて二人を見上げた。そしておとうさんがその視線に気づく。 「かっくんなんて呼ばれ方してた?」 「あれ?そういえば・・・ううん、前までは名前で呼ばれたよ?」 「じゃあどうして変わったのかわかる?」 「うーんと・・・ああ、この前の授業参観でおかあさんがぼくのことそう呼んで・・・」 「ふーん。」 わ、あまり見せることのないおとうさんの笑顔だ。 嬉しいはずなのに、あれ?おかしいな。なんだか・・・体が強張ってる。あれ? 「あ、お母さん帰って庭に水まかなきゃ!」 「?」 「だから二人でゆっくり歩いて帰ってきてね!」 「・・・?」 「・・・だ、だって・・・!」 「うん?何?言い訳があるならどうぞ?俺を納得させる言い訳があるならね。」 「だって、私はずっとそう呼びたかったのに英士は呼ばせてくれなかったじゃない! 親しみと愛をこめた呼び方なのに!私の夢だったのに!!」 「まだそんなくだらない夢持ってたの?」 「自分が実現できなかったささやかな夢を子供に託すのはいけないことですか?!」 「うん。」 「即答?!」 「のくだらない夢にこの子をつきあわせたくないね。」 「くだらなくないもん!愛だもん!」 おとうさんのいつもと違う笑顔に震えながらも、おかあさんは必死でおとうさんに抵抗してる。 なんだか訳がわからなくて、ぼくはそんな二人のやり取りをポカンと眺めていた。 「ごめんね、そんな呼ばれ方嫌じゃなかった?」 「え?う、うん。別に・・・。ぼく、今まであだ名とかなかったから呼びやすいって皆言ってるし・・・。」 「ほら見なさい!皆に愛される呼び方なのよー!ねーかっくん!」 「はは、調子に乗るなよ?」 「キャー!英士の愛のムチが痛い!ということで先に帰ってまーす!」 そう言うとおかあさんが重そうな袋を軽々と抱えて走り出した。 おとうさんはそんなおかあさんの後ろ姿を見て、呆れたようにため息をつく。 けれどさっきまでのちょっと怖かった笑顔はもうそこにはない。 おかあさんが先に走っていってしまったので、ぼくはおとうさんと二人、オレンジ色の光が差し始めた道を並んで歩いた。 お互い進んで話すタイプじゃないから、二人の足音だけが響く。少し歩いてぼくはふとおとうさんを見上げた。 おとうさんもその視線に気づいて、ぼくを見る。 「おとうさんはさ、何でおかあさんと結婚したの?」 「・・・ははっ、いきなり何を言うかと思えば。そんなにおかしい?」 「だっておとうさん強いし、かっこいいし、でもおかあさんはかっこ悪いし、騒がしいし。」 「そうだね、どうしてだろうな。」 どうしてだろうな、なんて言いながらおとうさんの表情はとても優しい。 どんな答えが出てくるんだろうなんて思いながら、ぼくはおとうさんの言葉を待った。 「無駄に怪力だし、無駄にうるさいし、訳のわからないことばっかり言うし、面倒ごとは持ってくるし。」 「え、あの、あれ・・・?」 別に何かを期待していたわけじゃないけれど、おかあさんに対してぼくの言ったことを怒ったり、 もっといいところがあるよ、なんて言うのかと思った。 予想外の返答に少し焦ってしまったぼくを見て、おとうさんが面白そうに笑みをこぼした。 「でも、」 「え?」 「一緒にいると、退屈しないだろ?」 おとうさんはいつも沈着冷静。言葉も少ないけれど、なぜかおかあさんの前だと表情も言葉も多くなる。 いろんなおとうさんの顔が見られる。そう、今だって・・・ 「・・・ははっ・・・あははっ・・・!!」 ぼくの言ったことを否定するわけでもない。おかあさんを好きだって言ったわけでもない。 だけどぼくはおとうさんの言葉にやけに納得してしまって。 なんだか笑いが止まらなかった。そんなぼくを見て、おとうさんも楽しそうに微笑む。 家について扉を開けると、そこには待ち構えていたかのようにおかあさんが立っていた。 気まずそうな、泣きそうな顔をしてこちらを見てる。 「あの・・・」 「どうしたの?」 「今日はオムライスにするはずだったのに・・・なんと卵がありませんでした・・・!」 「「・・・。」」 「何しに買い物に行ったの?」 「英士と出かけたかったの。」 「それで肝心の卵を忘れたと。」 「ご、ごめんなさーい!!」 おかあさんのいつもどおりのマヌケぶりに、普段のぼくらだったら呆れてため息をついていたところだけど、 ぼくはおとうさんと目を見合わせて笑った。 「・・・あれ?怒らないの?」 「今日はもう別のもの作ればいいんじゃない?」 「そうだよ、また買いにいくの面倒だし。」 「え?何?今日のふたりがすごく優しい・・・。おかあさん感激・・・! 何?一体なにに目覚めたの?」 「「目覚めてない。」」 またおかあさんは訳のわからないことを。 そんなだからいつまでたっても子供みたいって思われちゃうんだ。 ほっとけないって、そう思ってしまうんだ。 「おかあさんに任せたらまたバカみたいなことしそうだし、ぼくも手伝ってあげる。」 「え、ええ・・・!お母さんすごく幸せ・・・!でもバカみたいなことは余計なんだからね!」 「だって本当のことだし。」 「こら!この子はもー!英士、ちゃんと言って聞かせてやって!」 「本当のことだから他に言いようはないね。」 「そっち?!私に言い聞かせるの?!」 「俺も後で面倒なのはごめんだし、手伝うかな。」 「面倒?!面倒なんておこさないもん!」 冷静なおとうさん、騒がしいおかあさん。 皆が憧れるおとうさんが自慢だし、かっこいいと尊敬もしてる。 対照的にお母さんはかっこわるいし、いつも無駄にテンション高いし、呆れることもたくさんある。 「・・・でも嬉しいな!二人とも冷たくみせて優しいなんて反則!だいすき!」 だけど、こうやって恥ずかしい台詞を当然のように伝えたり、 いつだって僕らを笑顔で迎えてくれるおかあさんを見ていると、つられてぼくも笑ってしまうんだ。 「ハイハイ、それはもう聞き飽きたよ。」 「英士!わが子にふつーに流されました!」 「ハイハイ。」 「英士まで!!」 あまり表情を変えないおとうさんが笑う。 友達にいつも冷静だねって言われるぼくが笑う。 それがなぜなのか、考えなくてもぼくはもうわかっている気がする。 きっとこれからも騒がしい日常。 呆れることもあるし、うんざりすることもあるかもしれないけれど、 それでもこの日常が続いてほしいと思うのは、一体誰の影響かなあ。 TOP |