落ちてきた天使

― 少し先の未来の話 ―












「ねえねえ英士。」





何の予定もない休日。
少しだけ開けてある窓からは、心地のよい穏やかな風。
暇だったらしいが俺の部屋に来て、訳のわからないことを話しだし
俺が適当に相づちを打って話を流すのもいつものこと。
しばらくその状態が続くと、一人で話すことも飽きたのか彼女は一度自分の部屋に戻り
友達に借りてきたらしい少女漫画を持って再度俺の部屋にやってきた。そのまま俺の隣に座り、黙々と漫画を読み出す。
そんな行動さえもいつものことなので、俺は気にもせず同じように黙々と読書に勤しんでいた。

だからそんな彼女が思いついたように俺に話しかけたとしても、どうせまたくだらないことなのだと気にしない。





「リンってどう?」

「・・・。」

「英士ー?聞いてるー?」

「聞きたくない。」

「あ、そっかー・・・ってええ?!聞こえないじゃなくて聞きたくない?!拒否?!

いやいやまっさかー!英士がそんなこというはずないもん!」

「聞きたくないよ。」

「言わなくていい!2回言わなくていいから!!傷に塩塗りこまなくていいから!!」





だってどうせくだらない話だろうし。主語ないから何が言いたいのかわからないし。
は9割くらい一人で喋ってるほうがバランスいいと思うよ。





「それでね、見て英士!」





あ、今の会話なかったことにした。
まあ何を言ったところで、のくだらない話を聞かされるのは目に見えていたけど。





「この漫画!これがついに最終巻なんだけど、見て見て!最後は結婚して子供が生まれてるの!」

「ふーん。」

「赤ちゃんに名前つけるの迷ってるけど、私は女の子だったらリンがいいな!」

「は?」

「男の子だったら、かつゆきとか、かずきとか、『か』がつく名前がいいです!」

「・・・ちょっと待って。少女漫画の話してるんだよね?」

「私たちの子供の話です!キャー!!」





わざとらしく大げさに顔を覆うを冷えた目で見つつ
あまり考えたくもないけど、とりあえずその言葉の意味を考えてみた。





「・・・へー。子供できたんだ。おめでとう。」

「何早とちりしてるの英士!!しっかりして!!」

「は?」

「嘘です。しっかりしてます。ごめんなさい。」





もう何度このやり取りを繰り返しただろうか。
謝るくらいなら調子に乗らなきゃいいのに。つくづく学習能力ないよねコイツ。





「でね!子供にはリンって名前か『か』がつく名前がいいと思うの!英士はどう思う?」

「・・・。」





ニコニコと満面の笑みを浮かべながらこっちを見てる。
このまま俺が無視してたら・・・ずっとこのうざったい視線を送られ続けるんだろう。

俺は諦めたようにひとつため息をついて、口をひらいた。





「・・・何で「リン」なの?」

「リンって可愛いじゃん!」

「・・・まあ別に悪くはないと思うけど。」

「あ、本当!じゃあ私たちの子供が女の子だったらリンちゃんだね!へへ!」





俺たちはまだ高校生で、しかもいつだってこんな調子で結婚って文字だって見えてもいないのに。
どうしてコイツは能天気にそんなことまで考えてるんだか。
ていうか、先のことなんてわからないのに相手は俺だって決め付けてるし。
俺がを見捨てるとか考えないのかな。考えないんだろうな。

まあ、俺だって今のところは彼女を手放す気はないけれど。





「でも何で「リン」にこだわるの?」

「え?だってさー、私と英士が結婚したら名字は郭でしょ?
そして子供の名前をリンにすれば、郭リン!!」

「はあ・・・?」

「そうなるとさーあだ名はカクリンになると思わない?!カクリン!カクリン!うーん素敵・・・!!」

「・・・男だと「か」がつく名前って言うのは?」

そうそう!それもさ、郭かずきとかになったらさ!あだ名は絶対カックンになると思うんだよね!!
ああ素敵素敵・・・!将来が楽しみ
「却下。」」

「英士だったら快く賛成してくれると・・・
ええー!!





ああよかった。理由聞いといてよかった。
あやうくのバカみたいなネーミングセンスに乗ってしまうところだった。





「何でなんでなんでなんでえーーー!!」

「うるさい。無駄にうるさい。少し黙って。」

「無駄にってなにさー!せっかく可愛い名前考えたのに!!」

「可愛くない。そのアホみたいなネーミングセンスをなんとかして。」

「何だとー!全国のリンさんと「か」がつく男の子たちに謝れー!!」

「何勘違いしてるの。のネーミングセンスって言ってるでしょ。」

「いいじゃん!カクリンとカックン!何が悪いの!」

「全部悪い。」

「うええー!!」





大体、風祭をオアシスに例えたり、桜井を栗色ちゃんだなんて呼んだり、水野をタレ目と・・・ああコイツはどうでもいい。
もともとにネーミングセンスはないんだ。それが少しはまともに考えたな、なんて思ってた俺があまかった。

なぜかはずっと俺をカックンとか呼びたがってたし。
自分が気に入ったあだ名は意地でも呼ぼうとする。まあ俺の場合は何とか力ずくで説得したけど。
諦めたと思ったら、自分の子供につけさせようとするなんてどこまでしつこいんだ。本当コイツバカだよねわかってたけど。





「俺は正直、子供が好きってわけじゃない。」

「え?」

「でも、それが自分の子供ってなったら情くらい沸くと思うんだ。」

「うんうん!」

「俺は自分の子供に生まれたときから、妙な枷を背負わせたくはない。」

「枷って何ー!!愛ですけど!私の愛なんですけどー!!」

「よかれと思ってしたことが空回るって一番やっかいなんだよね。」

「遠くを見て言わないで!何か嫌!何かすごく胸が切ない!」





ため息をつきながら、さらに冷たい目でを見ると
俺に飛びつき、いつもの怪力で俺の両肩を掴み体を揺する。
とりあえずこの力には逆らえないので、俺は半ば諦めてされるがままが落ち着くのを待つ。





「いいもん!生むのは私だもん!つけちゃうもん!」

「その瞬間別れる。」

「へへーん!別れるだなんて
・・・ってええ!!別れるの?!

「自分のことばっかりで子供のこと考えない奴なんだから当たり前でしょ。」

「違うのに!愛を込めてるのにー!!ていうか名前つけた瞬間別れる親って聞いたことないよ?!

「それじゃあ俺たちが最初だね。」

「にこやかに言うなあ!!英士のバカー!!」






ついには泣き出しそうな顔をしながら、何故かまた俺の体を揺すった。
もうそろそろ酔ってくるから止めてほしいんだけど。





「あのさ。」

「なにー?」

「子供の名前以前に、前段階があるってわかってる?」

「へ?」





ポツリと呟くと、はポカンとした表情を浮かべた。
ああやっぱり何も考えてなかったんだ。





「子供に名前がつけたいなら、子供を作らないとでしょ?」

「そ、そうだね!当たり前じゃない!!」

「そういうこと、したいんだ?」





俺に覆いかぶさっている状態で、が目をパチクリとさせた。
そしてみるみるうちに顔が赤く染まっていく。
そんな彼女の反応がおかしくて、小さく笑みを浮かべた。





「何赤くなってるの?あんなに子供子供って言ってたくせに。」

「そ・・・それは・・・そうだけど・・・!」

「じゃあ当然覚悟はできてるんだよね?」

「きゃっ・・・!」





が戸惑っている間に、体勢を立て直し
壁際にいた彼女の顔の両隣に手をつく。
緊張してかたまってしまっているがやっぱり可笑い。
いつもは自分から俺に抱きついてくるくせに、子供や結婚の話がどうだって話もしてくるくせにね。





「・・・あ、あのっ・・・え、英士っ・・・」





俺が少し彼女に迫っただけで、こんなにも慌てて戸惑って。
本当・・・バカでおかしな奴だけど、退屈しないな。





「ま、待・・・英士っ・・・!」





そして俺も男だし。
いくらがお子様でも、鈍くても。
待てと言われたって、そこで止まれるほど優しくもないんだよね。





「ま・・・待ってってばー!!」

「・・・っ・・・!」





彼女のその声とともに、俺はそのまま彼女とは反対方向に押し出される。











「・・・あ・・・」





すぐにの情けない声が聞こえる。
さすがに今の雰囲気で俺を突き飛ばしただなんて、ちょっと気まずいんだろう。





「ご、ごめん英士・・・で、でも・・・」





正直、お子様なの行動なんて予想できていたし、それほど気にしてはいない。
まあ少し・・・惜しかった気はするけど。
だからが気にする必要はないんだけど、せっかくなのでもう少し彼女の様子を黙ってみていようか。





「ほ、ほら・・・物事には順序ってものが・・・・」

「・・・。」





に吹き飛ばされた状態のまま、顔もあげずに俯く俺を見て、どんどん不安になっているらしい。
情けない声がさらに小さくなっていく。





「わ、私だって英士のことは好きだよ?でもあの・・・」

「・・・。」

「う・・・うう・・・英士ー!!」





ついには泣き出しそうな声になった。
俺の隣まで近づき、様子を窺うように俺の顔を覗き込んだ。

瞬間、俺は顔をあげを見つめる。
驚いてかたまってしまった彼女の腕を引っ張り、そのまま顔を近づけた。





「ひゃっ・・・!」





の声が聞こえて。
そのまま彼女の唇に口付ける。それはほんの数秒のことだったけれど。





「・・・?」





からは何の反応もなく、俺は体を離しを見る。
すると彼女は顔を真っ赤にしたまま、それはそれは間抜けな表情で俺をぼんやりと見つめていた。





「・・・ははっ、何その顔。」

「・・・は!わ、わわわ笑うとこじゃないよ英士!乙女の唇をそんな急に・・・!こ、心の準備があ、あるんだからねっ!」

「ふーん。そうなんだ。嫌だったの?」

「い、嫌とかじゃなくて・・・!」

「じゃなくて?」

「し、心臓が・・・」

「心臓が?」

「心臓が爆発するよー!」

「・・・っ・・・」





の慌てぶりに、あまりの正直さに俺は思わず吹き出して笑ってしまった。
笑い出した俺に、が怒りながらまた訳のわからないことを言ってる。
そんな彼女が可笑しくて、彼女が怒るたびに俺はまた笑ってしまっていたんだけれど。





「わかった。」

「何が?!」

「急じゃなければいいんだよね?」

「・・・え?」

「じゃあ心の準備しなよ。待っててあげるから。」

「!」





また顔を赤くして。
戸惑っている表情をそのままに、視線を泳がせる。





「こんなので心の準備が必要なくらいなんだから、子供の話はまだまだ先だね。」

「ええ・・・!」

「文句あるの?」

「うう・・・ないです・・・。」





未だ顔は赤いまま、落ち込んで。
結局何も言い返せないことが不満なようで、口をとがらせる。全く子供みたいだよね。





「・・・英士。」

「何?」

「・・・心の準備、出来た。」

「・・・。」





彼女の予想外な言葉に少しだけ驚いて。
恥ずかしそうに顔を俯けたまま、緊張している彼女を見て思わず笑みが浮かんだ。









「随分はやいね。子供つくりたくなった?」

「そそそ、それはまだー!まだです!それはもう少し大人になってから!」









このお子様が大人になるって、一体いつなんだろうなんてふと思う。
けれど、鈍くて恋愛方面にはとんと疎い彼女だけれど
緊張してても、戸惑っていても、歩み寄ろうと必死になっているのはわかるから。
少しくらいなら待っていてもいいかなと思う。何しろ俺、の奇行で耐えることに関しては鍛えられてるし。





「・・・でも、さっきのは大丈夫。」

「さっきの?」

「・・・さっきの。」

「さっきのってキス「キャー!!照れるからもー!!」」

「・・・本当にバカだね。」

「な、何おう!何がバカ・・・っ・・・」








それでも、俺も男で。
好きだと思う人がいて、その人に触れたいと思うのは当然のことだから。








「・・・ふ、不意打ちは心臓が破裂するって言ったでしょー!!」

「あれ?心の準備出来たんじゃなかったっけ?」

「・・・う・・・あー・・・そ、そうだよ!で、出来てたもん!」

「そう、それはよかった。」

「・・・うう、悔しいー!英士め!」










もしも耐えられなくなったら、後はもう知らないけどね。












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