例えば、それが全て私に向けられたものでなくても
私も、貴方たちにも
嘘なんて、ひとつもなかった
最後の夏に見上げた空は
−変わることのないこの日々を−
「ただいまー。」
「お帰り。今日は遅かったのね。お友達と遊んできたの?」
「ううん。クラス会が延びたの。」
「・・・そう・・・。」
期待を込めるお母さんの言葉を、迷うことなく否定する。
その言葉にお母さんは複雑そうな表情で、返事を返した。
小学校が終わると寄り道ひとつせずに、まっすぐに家へと向かう。
帰りに学校で遊んでくるとか、友達の家によっていくとか、そんな行動私には一切なかった。
それは仲のいい友達がいないから、ということもあるが
私自身、『一人』が好きだと思っていたから。
別に学校でいじめられているわけでもない。
友達だって出来るときは出来るし、出来ないときは出来ない。
だからいつまで経っても特定の友達ができないことも、たいした問題ではないと思っていた。
けれど、自分だって小学6年生。そしてもうすぐ中学生になる。
複雑な表情をするお母さんの心情を理解していないわけではなかった。
「あのねお母さん。心配しなくていいよ?
私いじめられてるわけでもないし、一人が好きってだけだから。」
「べ・・・別に心配なんてしてないわよ?どうして?お母さん心配してるように見えた?!」
めちゃくちゃ見えてるよ。
・・・なんて言葉は胸にしまって。
「そっか。じゃあ私の気のせいか。」
慌てるお母さんに笑いながら返事を返す。
私の態度にお母さんが軽く肩を竦めて、ひとつため息をついた。
「あのね。子供を心配するのは親として当然なのよ?」
「・・・うん。」
「でもね。お母さんはを信じてるから。」
「ありがとう。」
親としては、娘に友達の一人でもいてほしいのだろう。
子供なのだから、作ろうと思えば友達の一人や二人作れるのかもしれないけれど。
それでも私はこんな淡白な性格のせいか、特定の友達というものが出来なかった。
これからも無理につくろうとなんて思っていない。
この優しい母親を安心させるには、友達の一人でもいればいいと思ったこともあるが
こればかりは中々うまくいかない。結局自分の我侭なんだということはわかっているんだけど・・・。
「お帰り。」
「わ!びっくりした・・・。お父さん帰ってきてたんだ。」
「今日は仕事が早く終わってな。」
「そうなんだ。お疲れさま。」
既にリビングに用意されていた夕ご飯を前に、お父さんが新聞を読みながら私の帰りを待っていたようだ。
私はソファに鞄を放り投げて、そそくさと洗面所に行き手洗いとうがいをしっかりとしてから
お父さんの向かい側の席へと座った。同時にお父さんも新聞を閉じる。
「じゃあいただきましょうか。」
「ああ。」
「うん。いただきます!」
お母さんの明るい声と、それに答える私の声がリビングに響く。
そんなに口数の多い方ではないお父さんは、黙々と箸をすすめていた。
もうそろそろご飯も食べ終わる頃、お父さんが呟くように口を開いた。
「・・・。」
「ん?」
「・・・強制するつもりはないがな?」
「うん。」
「・・・友達というものも、結構いいものだぞ。」
「へ?」
突然のお父さんの言葉に、私もお母さんも一瞬固まって。
そしてお父さんの言っていることは、さっきお母さんとしていた話なのだと理解した。
もうその話題が終わって、私たちが別の話をしている間も
お父さんはずっとそのことを考えていて。ようやく口に出したというところだろう。
私たちの話題にあまり興味のないフリをして、無表情のままで。
それでも、いつそれを言おうかと迷っていたのだろう。
「・・・っ・・・!」
「・・・あは、あはは!うん!ありがとお父さん!」
声を殺して笑うお母さんと、既に声まであげて笑ってしまった私。
お父さんが少しだけ顔を赤くしたのがわかった。
「・・・っ何を笑っているんだ!」
「ちが・・・別にバカにしてるわけじゃないよ?お父さんも私のこと心配してくれてるんだよね。」
「当然だろう。お前なら大丈夫だとは思っているが・・・それでも心配するのが親だと母さんも言っていただろう?」
「うん。ありがと!」
お父さんが小さく微笑む。
普段ぶっきらぼうなお父さんの笑顔は、本当に温かく感じられて。
私は両親が大好きだった。
こんなにも私を心配してくれて、それでも信じてくれて。愛してくれて。
一人が好きだなんて言って、本当の意味で一人なんかじゃなかった。
一人が平気だったのは、この二人がいてくれたからだと気づいたのはもう少し先の話だったけれど。
「ゴホッ・・・ケホッ・・・」
「お母さん?!」
「ケホッ・・・大丈夫よ。ごめんね。」
体の弱いお母さんは、よく発作のようなものを起こしていて。
今に始まったことではないとはいえ、やはり心配だ。
「夕飯の片付けは私がやっておくから。お母さんは二階で寝て?」
「大丈夫よこれくらい・・・」
「ダーメ!寝て!」
私を見て困ったように笑うお母さんが、お父さんを見る。
お父さんが小さく頷いて、上に行くように指示するとお母さんもそれに従った。
お母さんが二階へ上がり、私とお父さんはテーブルに並んだ食器を流しへと運ぶ。
食器を洗い出してすぐ、私はあることに気づいた。
「お母さん。薬持っていった?」
「・・・そういえば持っていってなかったな。部屋にももうないはずだが・・・。」
「私、ちょっと渡してくるね。」
「ああ。それなら俺が・・・」
「いいのいいの。お父さんは気にせずテレビでも見ててー。」
立ち上がろうとしたお父さんに声をかけて、すぐ近くに置いてあった薬箱を手に取る。
なんだかいつも心配をかけてしまっているから、こういうときくらい役に立ちたい。
コンコン
お母さんの部屋の扉をノックする。
返事がない。もう寝てしまっているのだろうか。目の前の扉を静かに開ける。
「・・・(寝てる)・・・。」
よっぽど疲れていたのか、具合が悪かったのか。
リビングを出てからたいした時間も経たずに、お母さんは既に寝入っていた。
私は音を立てないように、ベッドの横のテーブルに薬を置いて部屋を後にしようとした。
「・・・っ・・・。」
お母さんが何かを呟く。
寝言・・・?何だか苦しそうに、その言葉をもう一度呟いた。
「・・・彩珂・・・っ・・・」
「!」
―――・・・彩珂。
誰かもわからないその名前を、私は何度も聞いたことがある。
全ては今と同じようなその時に。つまり、お母さんが寝ているときに呟く名前。
ごくまれに聞くその名前を呟くときのお母さんは、いつも苦しそうで。
それが一体誰なのか、気になっていた。
苦しそうに呟くお母さん本人にそれを聞くこともできずに、私はお父さんに聞いたことがある。
けれどお父さんは目をそらして、「いや・・・」とだけ答えて言葉を濁した。
それからずっと、その話題を避けてきたけれど・・・。
お母さんが何かに苦しんでいるのなら、助けてあげたい。子供ながらにそう思った。
部屋を出てリビングへと戻ると、お父さんが台所で食器を洗っていた。
私は慌ててお父さんに駆け寄る。
「私がやるからいいのにー!」
「まあ俺も・・・たまにはな。」
相変わらず表情はあまり変えないけれど、私やお母さんを気遣ってくれているのがわかる。
その不器用な優しさに思わず笑みが浮かんだ。
「じゃあここからは交代!ね?」
「そうか。わかった。」
リビングのソファーへと戻ろうとしたお父さんに背中を向けたまま
私は意を決してお父さんを呼ぶ。
「・・・お父さん。」
「・・・ん?」
「・・・あの、ね・・・。」
私は小さく深呼吸をして、水道の蛇口を止める。
そして、お父さんへと振り向いた。
「『彩珂』って・・・誰?」
お父さんの表情が変わる。
目を見開いて、私を見つめて。
「・・・母さんか?」
「うん。さっき寝言で言ってた。・・・苦しそう、だったから。」
私が少しでも助けになれればいい。
以前聞いたときは小さな子供で話せなかったことだったとしても
今なら話してはくれないかと、小さな期待を込めて。
「・・・お前は・・・気にしなくて大丈夫だよ。」
「・・・私には・・・言えないこと?」
「・・・・・・。」
私を大事にしてくれる二人だけれど、私にも話せないこともあって。
私は確かにまだ小学生だし、大人の事情もあるのだろうけれど。
それでも・・・寂しい。
悲しそうに俯いた私の頭を、お父さんが優しく撫でる。
そして、そのまま私を抱きしめて呟く。
「もう少し・・・時間をくれないか?いつか絶対に話すから。」
「・・・うん・・・。」
そんなお父さんの言葉に素直に頷いた。
今はまだ話してくれないけれど、それでも二人が私にそれを話さないのにはきっと理由があるから。
二人の温かな愛情。それは言葉にしなくとも感じている。
それならば私も、二人が話してくれるまで待っていよう。
そして時は過ぎて。
私は中学の制服に身を包んでいた。
相変わらずの日常。可もなく不可もなく。
そして一人の友達も出来ずに毎日を過ごす。
それでもその日常は決して苦痛じゃなかった。
そんな日々を過ごす中、ついに『彩珂』の正体を知る日がやってくる。
「。ちょっとこっちに来てくれるか。」
「ん?どうしたのかしこまっちゃって。」
「大事な話が、ある。」
真剣に私を見つめる二人を見て、私は静かに二人の向かいに腰掛ける。
「・・・言う必要もないと思っていた。どんなことがあってもお前は俺たちの娘なんだから。」
「・・・?」
「だが、言わずにおいて後でお前を苦しめることもしたくない。だから話す。」
「お父さん・・・?」
お父さんが何を言っているのか、私にはさっぱりわからなかった。
状況の掴めない私は、ただ首をかしげてお父さんを見ていた。
「。落ち着いて聞いてくれ。」
「?うん。」
「お前と俺たちは・・・血がつながっていないんだ。」
「・・・!!」
突然のその言葉に、思考が停止する。
血がつながっていない。その言葉が意味するものは。
「生まれたてのお前を・・・施設から引き取った。そしてお前を俺たちの娘として育てたんだ。」
「・・・施設・・・?」
お父さんの発する言葉をただ繰り返して。
頭が混乱している。私は・・・二人の子供じゃない。
「けれど、だからといって何かが変わるわけじゃない。
お前は俺たちの娘だ。」
お父さんが私の目を見て、迷うことなくはっきりと告げる。
私はそのまっすぐな目に応えることができずに、思わず顔を俯ける。
「・・・・・・。」
それまで何も言葉を発しなかったお母さんが、私の名前を呼ぶ。
「貴方を愛していることに嘘はないわ。は私たちの自慢の娘よ。」
混乱する頭で、それでも私は嬉しかった。
血がつながっていなくて、それでも私を愛していると言ってくれる二人の顔が見たくて顔を上げる。
私を心配そうに見ながら、それでも小さく微笑む二人の胸に飛び込みたかった。
けれど理由のわからない何かが邪魔をして。
「・・・聞いていい?」
「いいぞ。何でも。」
「どうして・・・私を・・・引き取ったの?」
お父さんもお母さんも一瞬押し黙って。
私の質問に答えたのは、お母さんだった。
「貴方の親に・・・なりたかったのよ。自分の子供を守れる存在に。」
「・・・。」
「私・・・守ることができなかったから。」
切なそうに微笑むお母さんをお父さんが黙って見つめていた。
守ることができなかった・・・?それは私のことではない。
私には家族が支えだった。守られていないわけがない。ならばそれは・・・。
「『彩珂』・・・?」
そこでずっと疑問だった名前を口に出すなんて、私ですら考えていなかった。
それでもそのときの私はまるで確信をしているかのように。
お母さんもお父さんも、驚いたように私を見て。
数秒の沈黙の後、決心したように口を開いた。
「そうだ。もう会えることはないが・・・お前の姉さんだ。」
「・・・彩珂は・・・お母さんの子供だったの?」
「・・・生まれたその命を・・・私は生かしてあげることができなかったの・・・。」
つらそうなお母さんの顔。
眠っているそのときに、苦しそうに『彩珂』の名前を呟くお母さんと重なった。
お母さんの背中に手をあてるお父さんを、私はただ茫然と見ていた。
お母さんに声をかけるでもなく、お父さんに笑いかけるでもなく。
お母さんの子供。お母さんが生んだ子供。
その子供を失って、彩珂を失って、そして私を引き取った。
だから、私を引き取った。
そのときの私は愚かで浅はかで、そして醜い考えを持って
ただ二人を見つめていた。
ねえ。それじゃあ私は。
「話してくれてありがとう。」
私は。
「私も・・・二人のこと、本当の親だと思ってるから。それは変わらないよ。」
『彩珂』の代わりなの・・・・・?
それからも私はいつもの日常を送る。
お父さんやお母さんにも態度を変えることもなく。
それでも自分の心は、一度思い込んだその感情を忘れることなんてなかった。
「あれ?さん授業始まるよ?」
「・・・ちょっと具合悪くて。保健室に行くって先生に伝えておいてくれる?」
何も言わずに教室を出ようとすると、隣の席に座るクラスメイトに声をかけられた。
彼女は大丈夫?と声をかけてから、ゆっくり休んで、と笑って答えた。
教室を出た私は、どこへ行こうかと無意識に考えていて。
とにかく一人になりたい。静かなところへ行きたい。そんな考えを持ってただ歩いていると
偶然、屋上の階段へと行き着いた。
階段を上りながら、いろいろな考えが頭を巡る。
二人が大切にしていたのは、愛していたのは、私じゃなくて。
私を通して見ていた『彩珂』だった。
私自身を愛してくれていたわけじゃなかった。信じてくれていたわけじゃなかった。
私ばかりがそれを知らないで、愛されていると勘違いして。
一人じゃないだなんて思って。
・・・バカみたいだ。
彩珂がもしもここにいたのなら、私の存在に意味なんてない。
私なんて、二人にはいらない存在になっていた。
ガチャガチャッ
手をかけた屋上の扉は当然鍵が閉まっていて。
私は何気なく、ポケットに入っていたヘアピンで鍵穴をいじってみる。
するとカチャリという音とともに、扉の鍵が開いた。
あまりのあっけなさに少し茫然として。
けれどぐちゃぐちゃだった心にそんなことを気にする隙間はなかった。
少し乱暴に扉を開けて、屋上へと足を踏み入れる。
「・・・・・・!!」
扉を開けたその先の光景に、私は言葉さえも失って。
それは見渡す限りの青、青、青。
ぐちゃぐちゃだった考えも、どろどろとした心も忘れて、ただその光景に見入っていた。
視界いっぱいに広がる空。綺麗な青。優しい風が頬を撫でた。
気持ちが、心が落ち着いていった。
どろどろした考えが、この空に吸い込まれていってしまったかのように。
代わりに頬を撫でた優しい風が、私に問いかけるかのように。
ねえ本当に。
本当に私は愛されていなかった?
「でもね。お母さんはを信じてるから。」
「・・・友達というものも、結構いいものだぞ。」
「けれど、だからといって何かが変わるわけじゃない。
お前は俺たちの娘だ。」
「貴方を愛していることに嘘はないわ。は私たちの自慢の娘よ。」
「・・・っ・・・。」
例えば向けられた愛情が『彩珂』へのものだったとしても
それが全てなんかじゃなかったはずだ。
これまで一緒に暮らしてきた時間は
言葉にしなくともわかると思ったその愛情は
二人の温かな愛情を、優しい心を愛しく思うこの気持ちは
嘘なんかじゃ、なかった。
「ただいま・・・!」
「・・・お帰り・・・っ。」
玄関を開けて、今まで通りに。
けれど心だけは清々しい気持ちで、家へと入る。
そこにはいつもよりも嬉しそうに私を迎えるお母さんの顔。
「・・・お母さん?」
「お帰り・・・。・・・。」
お母さんの泣きそうな表情に、ただ驚いてしまって。
慌てて何かあったのかとお母さんに問いかける。
「・・・傷つけて・・・ごめんね?」
「・・・!!」
何事もなかったかのように接してきたのに。
誰も気づくことなんてないと思っていたのに。
お母さんはきっと気づいていた。
いつもの私じゃないこと。本当の気持ちを隠してきたこと。
そして今、その醜い気持ちが晴れたことを。
「どうして・・・わかったの?」
「のことなら何だってわかるわ。どれだけ貴方を見てきたと思ってるの?」
泣きそうな顔をしているお母さんにつられるように、私もまた涙がこみあげた。
一人で勝手に自分は不幸だと思い込んで、自分はいらない子だなんて思い込んで。
自分の隠せていたと思っていた感情を見抜いて。
「ただいま」のたった一言で、私がもう大丈夫なのだと気づく。
「・・・ごめんなさい・・・。ありがとう・・・。」
そう一言呟いて、お母さんに抱きつく。
お母さんの温かな体が、私をしっかりと抱きしめた。
「・・・お父さんも気づいてた?」
「勿論。」
迷いなくそう答えたお母さんは笑っていて
一人で悩んでいた自分が少しだけ気恥ずかしかった。
答えはこんなに近くにあったのに。
「私・・・二人とも大好きだよ・・・!」
「私も大好きよ。。」
そんな照れくさい言葉を伝え合って。
私たちは顔を見合わせてから、二人で笑った。
それからも私たちは相変わらずの日々を送っていて。
そして、お母さんが『彩珂』の名前を呼んで苦しむ姿を見せることだって変わらなかった。
けれど悲しくはない。
だって、親が子供を想うことは当然のことだと教えてもらったから。
二人の子であった彩珂のことを、お母さんもお父さんも忘れるわけはない。
苦しむお母さんを助けてあげられないのはつらいけれど。
それでも彩珂ばかりだなんて、自分が愛されていないだなんて思わない。
例えば、二人が私の中に彩珂を見ていたっていい。
それでも私は二人を愛しているから。
それでも二人は私を愛してくれているから。
これからも変わらずにこの日々を送ろう。
友達はまだ出来ないけれど、二人が不安がるから
いつか出来たときには、紹介してあげよう。
偶然見つけたお気に入りの場所は秘密だ。
だってヘアピンで鍵を開けるなんて、立ち入り禁止の場所に出入りしてるなんて、絶対心配するしきっと怒られる。
お母さんが守れなかったと言った彩珂。
けれど、私はここにいるから。
私がいることで救われるのなら、私はずっと側にいるから。
だから、これからも変わらずに。
一緒に、過ごしていこう。
変わることのない、平穏なこの日々を。
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