「・・・え・・・?」 「あ、美術部の子?いきなりなんだけど、絵の具ってどこにあんのか知らない?」 誰もいるはずのない美術室にいたのは、学校で一番有名なひと。 「・・・あれ、俺の顔に何かついてる?」 突然の予想もしていない人物に私は、彼の顔を見てただ固まることしかできなかった。 君を知るための第1歩 「おーい、美術係!」 「はい?」 「何ー?センセー?」 私のクラスの担任でもある、美術部の顧問。 彼は自分のクラスの美術係に、いつも篭りきりな美術準備室の清掃を命じた。 先生は1週間ほどの出張があり、自分が美術室からいなくなるから丁度いいだろう、だなんて言いながら。 「はー?何であんな汚い部屋を掃除しなきゃなんないのー?! 大体、私ただの美術係なんだけど!先生の雑用係でも何でもないんですけど!」 マイペースな先生に、当然のごとく抗議したのはもう一人の美術係。 私はと言えば、自分が美術部だということもあり、先生の突然の思いつきなんてものには慣れていた。 「まー、最初の係決めで美術係を選んだお前が悪いな。 仕事は美術の授業の時だけだと思ってたら大間違いだ。」 「はあ?!」 「じゃ、よろしく頼んだぞー。」 そう言いながらケラケラと笑いながら手を振って。 怒りながら猛抗議するクラスメイトの声がまるで聞こえていないかのような素振りで先生はその場を後にした。 悔しそうに未だ怒っているクラスメイトは、抑えようのない怒りの矛先をこちらに向けるかのようにキッと私を睨みつける。 「私、絶対やらないからね!あんな奴の言うこと聞いてたまるもんですか!」 「・・・まあ、気持ちはわかるけど・・・。」 「でしょ?!ていうかさんもサボっていいと思うけど?」 「でも私、一応美術部員だから。あの先生もあれでいいところもあるんだよ?」 「どこが!まあ勝手にすれば?」 そんな会話をした次の日。 先生は出張に出かけ、もう一人の美術係は勿論、HRが終わるとすぐに帰っていった。 もともと部員も少ない美術部。 責任者である顧問がいないということで実質、部活は休みとなっていた。 まあこの部屋に来てはいけない、なんてことはないけれど、顧問の不在で皆遊びモードに入ったようだ。 そんなわけで、私は一人でこの部屋の掃除に来たのだけれど、それも別に苦ではない。 先生の篭っている準備室は、常々ものが散らかり放題で片付けたいと思っていたし 掃除をする横から、物を投げ捨て散らかしていく先生の不在は、先生には悪いけれど正直ありがたい。 そんなことを考えながら、美術室の扉に手をかける。 ガラッ、と音がして開いた扉にまず思ったことは、 あれ、何で鍵がかかってないの?先生閉め忘れていったのかな。なんてことで。 まさか私の他にその鍵を開けた人物がいるなんてこと、全く考えてなかった。 「・・・え・・・?」 扉の先には、キャンバスの前に立ち何かを考えている姿の男子生徒。 誰だろう、だなんて思ったのは一瞬で。その存在感はそこにいるのが誰なのかを私に理解させた。 「あ、美術部の子?いきなりなんだけど、絵の具ってどこにあんのか知らない?」 おそらくこの学校での一番の有名人。 とりあえず私が知っている情報としては、サッカーが恐ろしくうまくて将来を期待されている人ってことなんだけれど。 例えば全校集会で紹介されていたり、その功績を称えられていたり。 例えば体育祭で耳を塞ぎたくなるくらいに多かった、黄色い声援とか。 例えばクラスメイトでしかも同じ男子なのに、「山口先輩って格好いいよな〜」って言われているのを聞いたり。 学年が違う私でも、顔と名前が一致する人。 それが今目の前にいる、山口圭介先輩だ。 「・・・あれ、俺の顔に何かついてる?」 あまりにもびっくりしすぎて、彼の顔を凝視したまま固まる私を見て 山口先輩が慌てたように自分の顔に手を触れる。 「あ、いえ!何でもないです。絵の具ですか?今出しますね。」 いくら驚いたとはいえ、いきなり他人に自分の顔を凝視されたら気分のいいものではないだろう。 私はすぐに視線をそらして、彼の問いに答えるため、常備されている絵の具と筆を取り出す。 「俺、課題提出遅れててさ。先生が出張の間に仕上げとけって言われて。 だけど当の本人はそれだけ言って、さっさと出張行っちゃったんだよね。君が来てくれて助かったー。」 遠くから何度か見たことはあるけれど、なんて爽やかに笑う人なんだろうか。 初対面の私にでさえこの笑顔。あまりにも爽やか過ぎて、なんだか直視できない。 画材を渡すと、山口先輩があれ?という顔で私を見る。 じっと見つめられ、私は身動きが取れないまま、彼が何か言うのを待っていた。 「あれ?でも美術部は休みだって聞いたけど・・・?」 「あ、えっと私、そっちの準備室の掃除を頼まれてて・・・。」 「そうなんだ。あの先生も人使い荒いなー!君一人でするの?」 「そうですね。でも、必要最低限しかできないと思うので・・・あの荒れようじゃ。」 「あははっ。確かに。どこから手つけていいのかわかんないよなあの部屋。 勝手に物動かすと怒りそうだしあの人。」 「・・・なので、私はあちらの部屋にいるので。また何かあったら聞いてください。」 「ああ!ありがとう。あ、俺も手伝う?」 「い、いえ!気にしないでください。それに先輩、課題提出できなかったら先生に何言われるかわからないですよ?」 「確かに・・・って、あれ?君何年?俺って先輩なの?」 「私、2年です。って言います。」 「俺は3年、山口。じゃあこっちの部屋は借りるな。」 先輩に軽く会釈をして、準備室の扉を開けしっかりと閉める。 「・・・うわあー・・・。」 緊張したー!と叫びたくなった。 山口先輩は噂どおり、とても気さくでいい人のようだけれど。 学校の有名人。爽やかな笑顔。皆が惹かれる先輩。 なんだかとても緊張してしまった。 ほこりにまみれた準備室で胸の鼓動が収まるのを待ち、それからようやく掃除に取り掛かった。 「・・・今日はこんなもんかな。」 荒れに荒れたその部屋を片しはじめてからはや1時間。 やはりジャージに着替えておいてよかった。そして、マスクも。 窓を開けたはいいものの、絶対この部屋空気が悪い。 先生はよくこの部屋で耐えられていたなあ。 むしろここまで来ると、散らかってないと落ち着かないなんて心情が働いたりするのだろうか。 疲れのものか、呆れのものかのため息をつきながら、何も考えずに準備室の扉を開く。 「お、今日は終わり?」 ああ、そうだった。 さっきまであんなに緊張していたのに、あまりの部屋の凄さに先輩がこっちにいることを忘れていた。 夕暮れ時のこの時間、差し込むオレンジ色の光が先輩を照らし、整った顔がさらに綺麗に見える。 「大分格闘してたみたいだな。」 「あ、うるさくしてしまってすみませ・・・」 部屋の物をどかして大きな音をたてたり、掃除機をかけたり。 絵を描くにはいい環境だったとは言えない。 美術部員のくせにそこまで気がまわっていなかったことに呆れる。 それと同時に、格闘していたという先輩の言葉に我に返る。 ジャージ姿にほこりまみれの自分。まさに"格闘"の後。 こんな素敵な先輩の前で、私は何て格好をしているんだ。 「ああ、全然気にしないで。俺、結構集中力あるんだ。」 にこやかに、爽やかに。 本当にこちらに気をつかわせないような笑顔。 ああ、何だか彼が人目を惹きつける理由がわかった気がする。 同性であってもひがみの声さえ聞こえてこない理由がわかった気がする。 「もう帰るの?送っていこうか?」 「い、いい、いいえ!そんな、滅相も・・・!」 「ははっ、何それ。遠慮しなくていいよ。」 「わ、私、家すごい近くなんです!それに着替えてから帰るから・・・。本当に大丈夫です。」 「そうなんだ?じゃあ俺はもう少し描いていくから、近くても気をつけてな。」 「あ、は、はい。」 有名で、生徒からも先生からも好かれていて、実際学校でも全校生徒の前で表彰されるようなすごい人。 なのに、全然気取っていなくて、爽やかで、優しくて。ああ、完璧な人って本当にいるんだなあ。 かくいう私も、この先輩に好感を持ってる。初対面なのにおかしいと思うけど、それだけの魅力をこの人は持っている。 反対に私の印象なんて、ひどいものなんだろうなあ。 無愛想で、ほこりまみれのジャージ女。 こんな素敵な人だから、自分ももう少しマシな姿を見せたかったなあ。もう今更なことだけど。 その日は山口先輩という人を知れたことが、少しだけ嬉しくて。 けれど自分の情けない姿ばかりを見せたことに、大分落ち込んで。 山口先輩は明日も来るのだろうか。もしも来たら、私ももう少し柔らかい表情で会いたいなあ。 彼の爽やかな笑顔、とはまではいかなくても。 そんなことをぐるぐると考えながら、帰路についた。 次の日の放課後。 美術室に向かうと、そこには誰の姿もなく。 昨日山口先輩が描いていたキャンバスだけが、ポツンと置いてある。 布をかけて隠してあるわけでもないそれを、悪いと思いながらも覗いてみる。 緑が広がる風景画。まだ描きかけだし荒い部分もあるけれど、なんていうかまっすぐな印象。 まさに山口先輩が描いた絵という感じだ。なんて、ただの美術部員のくせに偉そうだなあ私。 「それさー。」 「きゃあっ!」 「ああ、悪い。驚かした?」 「い、いえ・・・。」 「何か物足りないっていうか、味がないっていうかさ。」 突然後ろに現れた山口先輩は、私が絵を見ていたことを怒りもせずに 自分の絵に何かが足りないと悩んでいる。 言い方は悪いが、たかが美術の授業の課題なのに。 それでも納得いくまで考える、何にでも必死になる人なんだろうな。 「、なんかない?美術部員的に。」 「ええ・・・?!」 「こうしたら良くなるとか。」 「・・・えっと・・・。」 私が言えることなんて、たかが知れてるんだけれど キラキラした目で私を見る先輩に答えないわけにもいかなくなって。 私は彼の絵をもう一度眺めて、少し考えてから口を開く。 「たとえば・・・ですけど。」 「うんうん。」 「ここの緑に、青を加えてみるとか・・・。」 「青?草の色なのに?」 「青で塗りつぶすってわけじゃなくて、陰にしたり緑に青を混ぜて使ってみたり。後は暗い色なら茶色を使ってもいいかも。 ただ緑だけを使うよりも意外としっくりくるかもしれません。」 「へえ・・・。さすが美術部!言うことが違うな。サンキュー、やってみるよ!」 たいしたことを言ったわけじゃないのに、山口先輩は嬉しそうに笑う。 その綺麗な顔も、恥ずかしくなるほどの爽やかさも、私の心臓は反応して。 私はそれを必死で隠しながら、今日もほこりだらけの準備室に向かった。 その日も結局1時間程度、散乱するゴミと舞い散るほこりと格闘する。 掃除ってこんなに体力使うものだったか、というくらいに疲れてしまった。 部屋を出ようと扉に手をかける前に、今度は少しでもマシな姿でと思い、自分にかかってしまっていたほこりをはたく。 それでもやっぱり汚れが落ちるわけでもないし、髪もボサボサ。学校指定のダサいジャージ姿はどうにもならない。 深呼吸ともとれる小さなため息をひとつついて、私はようやく扉に手をかけた。 「あ、お疲れさん。」 「いえ・・・。」 「なあ、見てよこれ。」 「?」 「お前の言った通り、草の中に青い線を入れてみたんだ。結構リアルに見えない?味も出てきた!」 「・・・あ・・・本当・・・。」 「だよな!ありがとな!」 ほんの少しの、ただのアドバイス(なんていえるのかわからないけれど)でしかなかったのに。 山口先輩は本当に嬉しそうに笑う。私のおかげ、だなんて思うわけがないけれど それでも先輩の笑顔は、私まで嬉しくさせてくれる。私でも先輩の役に立てたのかもしれない、なんて。 それから数日間。私は毎日美術準備室の掃除を続け、毎日山口先輩に会う。 最初の緊張が少しずつ薄れ、先輩と普通に喋ることができていくのが嬉しかった。 先輩はサッカー選手の卵で、サッカーチームのジュビロユースに所属していることとか。 そのチームの遠征で、今回の美術提出課題が遅れていたこととか。 いろいろなチームと戦い、たくさんのライバルと友達がいることとか。生意気な後輩がいて自分をからかう、だとか。 家はみかん農園で暇なときにはその手伝いをするとか。そして今度作ったみかんを持ってきてくれる、なんてことも。 それらはきっと、周りの女子に聞けばわかってしまうような他愛もない話なんだろうけれど。 それでもその話を山口先輩本人から聞けたことが嬉しかった。 だから私も自分のことを少しずつ話す。誇れるような生活はしていないけれど、他愛もない平凡な日常なんだけれど。 どんな話であっても、山口先輩はきちんと聞いてくれるから。笑って答えてくれるから。 「もうすぐ完成ですね。」 「ああ、いろいろアドバイスくれてありがとな。助かった!」 「え、ええ・・・?ええっと・・・これで先生にネチネチ言われることはないですね。」 「そうなんだよ!あの先生いっつも俺を目の敵みたいにからんでくるんだもんなー!ひどいんだよ本当!」 「あははっ」 遠征で学校を休み課題提出が一人だけ遅れていた山口先輩を、先生は美術の授業の度にからかいのネタにしたそうだ。 それは本当の意地悪ではないんだろうけれど、何にでも必死で本気で反応を返す山口先輩は人をからかうことが好きな先生にとって 恰好のからかいの的だったんだろう。 たった数日間しか話していないのに、それでも先生にからかわれて必死になってる山口先輩が想像できて。 今でも必死に先生の意地悪さを説明する先輩が、何だか可愛く見えた。 「俺の絵も先生が帰ってくるまでには完成しそうだし。今日こそ掃除、手伝おうか?」 「え?いえっ・・・。大丈夫ですよ。」 「だから遠慮なんてしなくていいって。俺も助けてもらったんだしさ。」 「ええ?先輩っ・・・。」 私が止めるのも聞かずに、先輩はいいからいいからと笑いながら準備室の扉を開ける。 「・・・すっげえ・・・。」 「だからまだ汚いんですってばー・・・。」 「そうじゃなくて、よくあの惨状をここまで綺麗にできたな!」 「惨状って・・・。でもまだ物は散らかってるし、ほこりも・・・。」 「充分充分!これで先生が文句言ってきたら俺が怒ってやるよ。」 「・・・あ、あ、りがとう、ございます。」 これだってたいしたことなんかじゃないのに。 散らかっていたものをどかして、ほこりをはたいての繰り返し。 それでも1日1時間程度じゃどうにもならなくて、未だ物は散乱しているのに。 ちっぽけな、些細なこと。 それでも山口先輩は本当にすごいというように、キラキラした目を向けて。 そんな先輩に私はうまく視線があわせられなくて、言葉もうまく紡げない。 おかしいな。数日間話して、緊張なんてなくなったと思ってたのに。 「じゃあ・・・あの、お互いラストスパートですよね。」 「え?」 「私はこの部屋の掃除を、先輩は絵の完成。」 「ああ、そうだな!」 「だから・・・手伝いは大丈夫です。」 先輩の気持ちはすごく、すごく嬉しいけれど。 一緒に掃除してもらいたい気持ちがなかったわけじゃないけれど。 こんな密室で、先輩と二人きりなんて、絶対心臓が持たない。 「・・・。」 「あ、別に先輩の申し出が迷惑とかじゃなくって・・・!あの、先輩は絵をっ・・・。」 「ははっ。うん、ありがと。はいい奴だな。」 先輩が私を見たまま黙ってしまうから、もしかして嫌な思いをさせてしまったんじゃないかって慌てて弁解する。 そんな私の様子を見て、私の頭に優しく手を置き笑った。 いい奴、だなんて。 本当にいい人なのは山口先輩です。 皆から好かれて、皆から尊敬されて、先生からも信頼されるすごい人なのに。 こんな平凡な私にも、誰とも変わらず笑いかけてくれる。優しく声をかけてくれる。 だから皆、先輩を好きになる。 きっと、私も。 「ちょっとちょっとさん!」 「え?何・・・?」 「美術室に山口先輩が来てるって本当?!」 そう聞いてきたのは、私と同じ美術係のクラスメイト。 心臓がドキリ、と小さくはねる。 「昨日、さんが山口先輩と美術室から出てくるの見た子がいるんだけど・・・!」 「・・・本当だよ。山口先輩、先生に美術の提出課題をやっておくよう言われてるんだって。」 「ちょっと嘘でしょ?!何で教えてくれないのー?!」 「だって・・・。」 「だってじゃないよ!山口先輩にお近づきになれるチャンスじゃん! 今日から私が美術室掃除するよ!いいでしょ?!」 「えっ・・・?!」 「さんはもう充分山口先輩と話したでしょー?独り占めしなくたっていいじゃん!!」 だって最初から掃除が嫌だって言ってたじゃない。 先生の言うことなんて聞くの絶対嫌だって言ってたじゃない。 なのに、今更。 言いたい言葉はたくさんあった。反論だって出来た。 それでも彼女の言葉に頷いてしまったのは、彼女に私の心を見抜かれてしまったと思ったから。 私は、放課後山口先輩と話していることを誰にも話さなかった。 友達にも、勿論美術係の彼女にも。 それは言う必要がないだとか、話題にならなかったからとかじゃなくて。 彼女の言ったとおり、山口先輩を独り占めしていたかったから。 皆が好きな、山口先輩。 皆が憧れる、山口先輩。 けれど、あの部屋でだけは。あの時間だけは。 平凡な私が唯一、彼を独り占めできる時間だったんだ。 あれからまた数日が経つ。 そして来週には、先生が帰ってくる。 もう舞い散るほこりに咳き込むことも、何度も何度もぞうきんを洗いに行くこともない。 あの部屋の最後の仕上げはクラスメイトがやってくれているはずだ。 なのに、私の心にはぽっかり穴が空いているようで。 あの子は明るいし、ノリもいいし、綺麗だし。 きっと山口先輩とも私なんかよりもずっとうまく話しているんだろう。 毎日たくさんの人に囲まれる山口先輩にとって、私の存在なんてきっとちっぽけで。 たった数日間のことなんて、そのうち忘れ去られていくんだろう。 最初からわかっていたことだ。 私は先生に頼まれて掃除をはじめ、先輩は先生の課題をこなしていただけ。 先生が出張から帰ってくるまでの1週間。それが終われば私たちに接点なんてなくなる。 わかっていた。 わかっていたのに。 どうして、こんなにも。 「?」 「・・・?」 「やっぱりだ。ジャージ姿しか見てなかったから、ちょっと迷った。はは。」 「山口先輩・・・。」 後ろからかけられた声の主は、やっぱり予想外の人。 けれど。 けれど、ずっと会いたかったと願っていた人。 「掃除の仕事、変わったんだって?」 「・・・あ、はい・・・。」 「びっくりした。美術室に今日もお前がいるのかなーと思って扉を開けたら違う子がいてさ。 しかもすっごいテンション高いっていうか・・・。と正反対の子だな。」 「・・・あはは・・・。」 「そうそう、俺の絵も完成したからさ。暇だったら見に来てよ。」 「・・・はい。」 何だか先輩の顔がうまく見れない。 それがもう、緊張のせいでないことはわかってる。 そして、その理由も。 もう接点のなくなる人。 皆が憧れる、私には遠い人。こんな風に話せるのも、これが最後なのかもしれない。 「あ、美術部の子?いきなりなんだけど、絵の具ってどこにあんのか知らない?」 「大分格闘してたみたいだな。」 「だよな!ありがとな!」 「充分充分!これで先生が文句言ってきたら俺が怒ってやるよ。」 「ははっ。うん、ありがと。はいい奴だな。」 これで、最後・・・? 誰にでも優しい、山口先輩。 私に声をかけてくれたのも、彼がきさくで優しいから。 そこにはきっと、特別な感情なんてないんだろう。 だけど。 だけど、私は、私にとっては。 貴方との時間は楽しくて、優しくて、特別だった。 もっと一緒にいたいだなんて、我侭すぎる願いなのかもしれないけれど。 それでも私は、先輩の傍にいることを望んでる。 「あのさ、」 「あのっ・・・」 同時に言葉を発しびっくりしながらも、お互いその言葉の先を譲りあって。 そんな自分たちに苦笑しながら、先に言葉を続けたのは先輩だった。 「俺、なんかおかしいんだけどさ。」 「・・・?」 「の友達が掃除に来て、なんか・・・気が抜けたっていうか・・・。」 「・・・え・・・?」 「いや、別にお前の友達悪く言うわけじゃないんだけど・・・! なんていうか、こう、落ち着かない気持ちになるっていうかさ!」 別に友達じゃないんだけどなあ、なんてことをぼんやりと考えながら。 必死になって何かを話そうとしている先輩を見つめる。 「美術室にはやっぱりがいてほしいな、とか思って・・・。」 「・・・。」 「いや、別にいつも美術室にいつけとかそういうわけじゃなくて、あー!何て言えばいいんだ!」 「・・・。」 「俺、お前があの部屋にいなくて・・・えーと・・・」 先輩が言葉を探すように、腕を組み頭を傾ける。 そして私は先輩の言葉に、自分の想いをあてはめてみる。 美術室に行く必要がなくなってしまって、何だか心に穴が空いているようだった。 たとえ先輩が何も思っていなくても私は。先輩に会えなかったことが、とても。 「・・・さみしかった・・・?」 「そう!それ!!」 先輩がそれだ!と私を指差す。 そして、みるみるうちに顔が赤くなっていく。 寂しかった、なんて私だけが持っているものだと思っていた。 言っても恥をかくだけだと思っていた言葉を、先輩は迷うことなく認めてくれた。 「うわー!なんかおかしい俺!やばい!」 先輩が皆に好かれているとか、私の手の届かない存在だとか。 そんなことを気にする前に、もっと大切なことがあったはずだ。 「・・・私・・・」 それが私と同じ想いかなんて、わからないけれど。 まっすぐに、正直に気持ちを伝えてくれた先輩。 「私も・・・寂しかったんです、先輩。」 だから、私も正直に。 まっすぐな気持ちを伝える。 先輩に叶わなくても、私なりの精一杯の笑顔で。 そうしたらきっと、先輩も。 「・・・そっか!」 出会ったときと変わらない、その笑顔を見せてくれるから。 「今度、の描いた絵も見せてよ。」 「ええ?え・・・遠慮しときます・・・。」 「遠慮しなくていいって!」 「・・・はい。」 遠慮というか、見せられるほどの絵ではないという意味なんだけれど。 先輩の爽やかな笑顔は、肯定しか答えられないような魔力がある。 「じゃあ・・・その時、先輩の家のみかん・・・もらってもいいですか?」 「ああ、勿論!」 今の私はただ気持ちを伝えることしかできなくて。 告白なんてできない臆病者だけれど。 まずは1歩。 1歩ずつ、1歩ずつ。 今よりももっと、貴方に近づいていけるといいな。 TOP |