「いえいえ、こんなものはたいしたことないです。」

「そんなこと言わずに・・・私のせいですもの・・・」




学校が終わり、部活もなくまっすぐに家に帰ってくると、
玄関の前で見覚えのある二人が何やら言い合いをしていた。





「これは私の不注意ですから。」

「お願いですから・・・手当てだけでもさせてくださいな。」





一人は小さな頃からの俺の世話係、かずえだ。
そしてもう一人、俺に対する口調とは全く違うが、アイツを見間違えるはずがない。





「・・・何をしている?」

「「ぼっちゃま!」」





かずえ以外で俺をぼっちゃまだなんて呼ぶ女は、一人しかいない。















理屈と現実















「どうした、かずえ。」

「騒がしくして申し訳ありません、ぼっちゃま。
先ほどお買い物へ行ったのですが・・・その、バランスを崩してしまいまして・・・」

「転んだのか?!平気か?」

「ええ、私は・・・。そのときこのお嬢さんに助けていただいたのですが・・・
代わりに怪我をさせてしまって・・・。」

「こんなもの怪我とは言わない。そう先ほどから言っているんだが・・・
この方はぼっちゃまのおばあさまなのか?私は大丈夫だと言ってくれ。」

「あらあら、お嬢さんはぼっちゃまのお友達?」

「はい、友達です。」

「誰がだ。勝手に嘘を吹き込むな。」

「嘘ではないだろう。私はお前と友達だと思っているぞ。」

「・・・それで、怪我というのは・・・ああ、膝から血が出ているな。」

「だからたいしたことはないと・・・」

「ぼっちゃま、彼女を家へあげてもよろしいでしょうか?」

「・・・。」





この妙な喋り方をする女は俺のクラスメイトの
少し前に学校へやってきた転入生で、このとおり変わった口調と性格をしている。
出会ったときから謎が多く、俺をいい奴だといいながらつきまとうおかしな奴だ。

はっきり言って、関わりたくないタイプだった。
だから何度も突き放したのに、こいつは全く動じない。
そしていつの間にか、俺もそんな彼女に慣れてきてしまったことも事実だった。
友達だなんて・・・思ってはいない。そう、ただの知り合い程度の関係だ。

しかし、かずえを助けて怪我をしたなんてことを聞かされたら、そのまま帰すわけにもいかない。
懇願するようなかずえの表情を見てはなおさらだ。
本人が大丈夫といえど、かずえはずっと気にしてしまうだろう。





「あがれ。」

「だから私は・・・」

「いいからあがれ。」

「手当てもだけれど、学校でのぼっちゃまの話も聞きたいわ。」

「・・・そうなんですか?」

「ええ。」





・・・うちに招き入れるための方便だとしても、手当てを終えたら即刻帰ってもらおう。
俺の学校での話など、かずえの心配の種になるだけだ。

















。」

「なんだ、ぼっちゃま。」





あとのことはかずえに任せようかとも思ったが、救急箱を取りにいったかずえに
よろしくお願いします、だなんて声をかけられてしまった。
よろしくお願いしますって何をだ。を一人にしておくなってことか。面倒な。
しかし俺のいないところで、学校生活のことをおかしく伝えられても困るしな。





「かずえの前だと礼儀正しいんだな。」

「当たり前だろう。人生の大先輩だ。」

「・・・お前はおかしなところで常識を守るんだな。」

「おかしなところとは何だ?」

「いや、いい。」





学校の上級生にさえ、あの高圧的な態度だから
礼儀なんて知らない奴なのだと思っていたが・・・
そういえば教師にたいしての口調は丁寧だったか。
そこまで気にしていなかったから、気づかなかったが。





「それと、なんで呼び方が元に戻ってる。」

「呼び方?ああ、ぼっちゃまのことか。」

「その呼び方はやめろと言ったはずだ。」

「お前は我侭だな。燎一と呼べばやめろと言ったり、ぼっちゃまと呼べばやめろと言ったり。」

「俺は普通に呼べと言っただろう。なぜぼっちゃまなんてふざけた呼び方になるんだ。」

「ばか者ー!」





スパーン、と間抜けな音が響いた。
特に痛みはなかったが、それゆえに一瞬何が起こったのか理解できなかった。
俺は突然立ち上がったに、額を押し出すようにはたかれたのだ。





「それはおばあさまの呼び方も侮辱したことになるんだぞ!なんてひどい奴だ!」

「だ、誰がかずえまで侮辱した!お前のことだ!お前の!」

「私だって愛着をこめて呼んでいるぞ!ふざけてなどいないと何度言えばわかる!」

「そんなものに愛着をこめるな!」



「あらあら、騒がしいですね。」





ガチャリ、と扉の開く音がしてかずえが笑顔で部屋へ入ってくる。
俺たちの言い合いはぴたりと止まり、かずえがテーブルにカップを置く音だけが響く。





「本当に仲がよろしいのですね。」

「それは勘違いだかずえ。誰がこんな奴と・・・」

「こんなぼっちゃまを見たのは久しぶりです。」

「・・・っ・・・」





・・・そんな嬉しそうにしなくても・・・。
そんな顔をされたら何も言えなくなってしまうだろう。





「・・・私もはじめて見たぞ。」

「?」

「ぼっちゃまめ、そんな顔もするのか!」

「な、なんのことだ?」

「怒ってばかりと見せかけて、やはりぼっちゃまは優しい心を持っているんだな!」

「だから何の話だ!」

「ええ、ぼっちゃまはとてもお優しい方ですよ。お嬢さんもわかってくださっているのね。」

「私はです。といいます。おばあさま。」

「ふふ、私も申し遅れてしまいました。燎一ぼっちゃまの乳母をしておりました、かずえと申します。」

「・・・お、お前ら・・・!」





ちょっと待て。今の、ほんのわずかな時間になぜいきなり意気投合してるんだ。
二人とも先ほど会ったばかりの、初対面だろう?
かずえがの怪我の手当てをしながらも、二人は楽しそうに会話を弾ませている。
ところどころに「ぼっちゃま」の単語が聞こえてくるのは俺の気のせいということにしておこう。

















「どうした、ぼっちゃま。疲れた顔をしているぞ?」

「誰のせいだ・・・。」

「誰のせい?心当たりがあるのなら協力するか?手を貸すぞ?」

「・・・。」





手当てを終えてかずえと少し話した後、がようやく帰る流れになった。
一人で帰るといっていたものの、やはりかずえが心配そうな顔をするので、仕方なく途中まで送ることにする。
まったくかずえは誰にたいしても心配性すぎるんだ。
こいつは上級生の男3人を一瞬で沈める女なんだぞ。





「しかしかずえさんは素敵な方だ。あんな人が傍にいてぼっちゃまは幸せ者だな。」

「・・・。」

「幸せ者だな?」

「・・・。」

「しあわせ「ああもう、そんなこと知ってる!」」





本当こいつは何もかもが直球だ。
しかもそれに返事までしないとしつこいくらいに問いかけてくるし・・・。
誰も彼もがお前やかずえのように素直な人間ではないことを知ってほしいものだ。





「うん、それなら大事にしろ。」





言われなくても、と心の中で呟く。
かずえにはいつも感謝しているんだ。それを態度に表すことはなかなかできないけれど。





「ぼっちゃま。」

「?」





俺の前を歩いていたが、立ち止まりこちらへ振り返る。
あまりに真剣な顔だったから、俺も思わず立ち止まって彼女の次の言葉を待った。





「・・・まだ、怒っているのか?」

「?何がだ?」

「そんなにこの呼び方が嫌か?」





突然のことに俺は思わず、驚いたまま言葉を失う。
だって今まで無神経にずっとその呼び方をしていたくせに。
嫌だと言っても逆に怒ったりしてきたくせに、今更?





「・・・っ・・・」





だから、つい笑いがこぼれてしまった。
変なところで常識があって、変なところで気を遣って。
絶対どこかずれてるんだ、彼女は。

考えれば考えるほど可笑しくなってしまって、
けれど笑っているところを彼女に見せるのは、ちょっと気恥ずかしくて。
顔を背けながら静かに笑いを押し込める。





「ぼっちゃま?どうした?!泣いているのか!そんなに嫌だったのか!」

「誰が泣いてる!これは笑ってるんだ!」





また突拍子もないことを言うから、思わず顔をあげて本当のことを言ってしまった。
当たり前だ。なんでこんなことで俺が泣いてるだなんて思うんだ。





「なんだ、笑ってたのか。」





いつもの自信たっぷりの顔でもなく、先ほどかずえと談笑していた顔でもない。
彼女とはじめて向き合った、あの時を思い出す。





「だから私はお前に近づきたいと思った。これが答えだ。」





あの時から変わらず、彼女は俺に近づく。
俺が何度突き放しても、迷惑だと言っても、動じることもなく。
あの頃は出会ったばかりだったから、俺のことなんてわかっていなくて。
少し時間が経てば自分から離れていくんじゃないかってそう思っていたのに。





「はい、友達です。」





いつになっても、離れていこうとしない。





「私だって愛着をこめて呼んでいるぞ!ふざけてなどいないと何度言えばわかる!」





「まぎらわしいぞ。友達を泣かせてしまったのかと思った。」

「・・・。」

「おい、ぼっちゃま、」





彼女が何かを言っている途中に顔をあげて、をじっと見つめる。
突然のことに、も思わず言葉を止めたようだ。





「ぼっちゃまと呼ぶな。」

「なぜだ?」





ここでなぜ、と返すのがまた彼女らしいというか。
こうして彼女が聞き返してくることを予想できてしまっている自分にも呆れてしまう。








「名前。」

「?」

「名前で呼べと何度言えばわかる。」

「・・・燎一?」

「ああ。」







だって仕方ないだろう。
なぜか彼女の選択肢には「ぼっちゃま」か「燎一」しかなくて。
なぜか俺に近づいてくることをやめなくて。
なぜか俺のことを友達だと言い張っている。

そして、





「友達と言うのなら呼び方くらい覚えろ。」

「・・・っ・・・わかったぞ、燎一!」





なぜか彼女のことを突き放しきれない、自分がいるんだから。











「もうここでいい。」

「約束の場所まではまだだぞ?」

「私の実力は知っているだろう。心配なんていらない。お前ならわかるだろう。」





それは知っているし、先ほどまで俺自身もそう思っていた。
そのまま彼女の言葉に従えばいい。"途中まで送る"という目的は果たしているし、
本人が言っているんだから、逆らう必要だってない。





「・・・いや、送る。」

「お人よしだな。いいと言っているのに。」

「距離はたいして変わらないだろ。」

「お前は本当にかずえさんの言うことは聞くんだな。」





かずえの言っていたことをすべて聞いているわけじゃない。
別に、よかったんだ。言葉どおり帰ったって。何も問題なんてない。

けれど、なぜだろう。
どうしてこんな言葉が出てきたのか、自分でもよくわからない。





「それじゃあ送ってもらうとするか。」





の言うとおり、かずえの言葉が頭をよぎったのか。



それとも、他に理由があったのか。



彼女といるといつも調子がくるって、知らなかった自分に驚かされ、疑問は増えていくばかりだ。





「行こう、燎一!」





けれど、





笑顔を浮かべ道を指し示す彼女につられ、小さく笑みを零してしまうあたり






思っていたよりも悪い気はしていないらしい。








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