笑顔にかわるその瞬間











「赤い印ー!赤い印を引いた奴名乗り出ろー!」





昼休みが終わって、午後の最初の授業。
誰もが眠くなるこの時間帯に教室に響くのは、生徒から暑苦しいと評判な担任の声。
生徒からの名乗りをワクワクした表情で待っている。





「うわっ!俺だ!!」





思わずあげてしまった声に、担任は嬉しそうに笑みを浮かべて。
そしてわざわざ俺の席まで来て、ご丁寧に両肩をガッシリと掴み。
満面の笑みで言う。





「おめでとう若菜!名誉ある文化祭実行委員だ!頑張れよ!!」





そう。この学校はもうすぐ文化祭を迎える。
文化祭には文化祭実行委員ってものも当然あって。
とはいえ、実行委員とは名ばかりの雑用係。
うちのクラスにはそれを自分からやりたいだなんていう、熱い奴はいなかったわけで。
見かねた担任が残念そうに、「やる気ないなぁ!」と言いながらくじを作り、俺らにそれを引かせた。

そして見事当たってしまったのが俺、というわけだ。





「先生〜!俺、サッカーの練習あるから無理ー!」

「コラ若菜!男なら文句言うな!!いいじゃないか!皆で青春しろよ!!」





皆で青春って・・・。昔、青春ドラマとか見て感動して教師を目指したタイプだよなこの人。
つーか文化祭とか、音楽祭とかってクラスの揉め事も多いんだよなー。





「男子は若菜だろ?じゃあ女子は・・・当たったの誰だー?」





教室がざわついて、周りをキョロキョロと見渡す。
そして視界の中に入ってきたのは、静かに手をあげた一人のクラスメイト。





「私です。」





呟くように、けれどはっきりと聞こえたその声に、クラスが一瞬静まり返る。
その一瞬の静寂を破ったのは空気の読めない担任だった。





「お。か!なら不真面目な若菜も引っ張ってくれそうだな!じゃあ二人は前に出てー。」





不真面目って、ひどくね?
そんな文句を思い浮かべながら担任に引っ張られるままに、黒板の前に立つ。
一緒に呼ばれたもそれに従う。





「じゃあ、この二人が文化祭実行委員だ。皆、拍手!」





気の無いまばらな拍手が聞こえる。
皆の俺を見る目に同情の色が浮かんでいた。
俺はそんなクラスメイトたちを一瞥してから、自分の横に立つを見る。
すると俺の視線に気づいたように、も俺を見た。





「・・・ははっ。お互い面倒なことに当たっちゃったな。よろしく。」





人当たりがいいと自負している俺。
笑顔を向けて、適当な挨拶を告げる。
そして、隣の彼女は。





「よろしく。」





笑顔の俺に応えるなんてこともなく、全くの無表情でたった一言だけを返した。

















「・・・はあー・・・。」

「若菜!頑張れよ?実行委員!」

「何だよっ。他人事だと思いやがって・・・。」

「よりによって相方がになるとはな〜。さすがの若菜でもとは仲良くなれねえよな〜?」






いかにも楽しそうに話すクラスメイトを睨むように見つめると、怖い怖いと笑いながらそいつは教室を出て行く。

放課後で自分以外誰もいなくなった教室に静寂が走る。
これから文化祭実行委員の初仕事。担任から事前にもらったプリントで実行委員の仕事を確認、分担する。
担任と一緒にプリントを取りにいったの帰りを一人、憂鬱な気分で待っていた。

同じクラスの 
美人で勉強も出来、運動神経も抜群。そりゃもう教師にとっちゃ優等生で、生徒にとっちゃ憧れの的。
・・・と、なるだろうと普通は思う。まあ教師にとっての優等生、これに問題はない。
けれど、生徒にとっての憧れ・・・にはならなかった。何でもできる彼女には一つ、問題があったのだ。





さん!綺麗な髪だねぇ〜!憧れちゃうよ〜!」

「そう。」



さん!ここわからないの!ノート見せてくれないかな?!」

「自分でやらないと意味がないと思うけど。」



さん!俺、さんのことが好きです!付き合ってくれませんか・・・?!」

「無理です。」





無表情のまま感情を表に出さず、たった一言で会話を終わらせる。
たまに何か頼んでみれば、一刀両断で切り捨てられる。
告白の返事なんかはかなり話題になった。
「無理です。」の四文字で片付けられた哀れなチャレンジャーは、そりゃもう相当の落ち込みようだったそうだ。

外見だけで『何でもできる大和撫子』『大人びてて優しそう』なんてイメージがあっただけに、彼女の評価はガタ落ち。
今では誰も彼女に近づかない。
誰だって傷つけられるのは怖いし、笑顔一つ見せない彼女といても楽しくないだろうからだ。
かくいう俺も、に話しかけることに挑戦して見事話が続かなかったという戦歴も持っている。

クラスの大体の奴とは話せるし、それなりにうまくやっていく自信はある。
だけどよりによってクラスで一番苦手な。憂鬱な気分にならないはずがない。





ガラッ





教室の扉が開く。
顔を上げてそちらを見れば、相変わらず無表情な彼女の姿。





「もらってきたよ。」

「サンキュー!で、どんな仕事があるんだ?!・・・うわー!やっぱり面倒くせえ!もそう思わない?」





性格上、シンとした雰囲気は苦手だ。
とりあえずテンションをあげて、無駄に大げさに話しかけてみる。





「別に。」





・・・終わってしまった。
そして、流れたのは俺の苦手な静寂の時間。
それぞれがプリントを眺め、必要事項だけを話し、無駄話をすることもなく。
その日の打ち合わせはあっさりと終わった。

















二人の実行委員と言えど、二人っきりでする作業というのは意外と少ないものだ。
学校全体の委員の仕事は、そりゃもう大勢の人間がいるし。
クラスの出し物を決めるときだって、と相談する必要もなく意外とすんなり決まった。
結構うまく事が進んでいって、俺って実はクラスをまとめる能力とかあるんじゃね?そんなことを思ったりもして。





それが、甘い考えだったと知るのは数日後。





「何でよー!せっかくなんだからそれくらいしたっていいじゃん!!」

「はぁ?何でそんな面倒なことする必要があんだよ。ていうか、やるのは勝手だけど、俺らまで巻き込むなよ!」





イベントごとで1度は起こるクラス内の揉め事。
俺たちのクラスの出し物は『喫茶店』と決まったわけなんだけど、
部屋の飾りつけで意見がぶつかりあってる。

女子はこだわりを持って、ダンボールなんかを使ってレンガとか屋根とかも作りたいらしい。
けれど男子はそんな見た目は関係ないだろと、そしてそれの作成依頼をされたことに反発している。
ちなみに俺も男子派だ。確かに見た目って大事だけど何もそこまでしなくてもいいと思うし。
けど俺も一応実行委員。俺の意見はともかくとして、仲裁に入らないとまずいよなぁ。・・・仕方ない。





「まーまー落ち着けよ。いいじゃん。味がうまけりゃ客も来るだろ?」

「そのお客を呼ぶのが見た目なんじゃん!若菜も面倒だとか言うわけ?実行委員のくせに!」

「いや、そういうわけじゃないけどさ・・・!ホラ!揉め事はよくないだろ?仲良くやろうぜ?」

「・・・何それ。全然答えになってない!」

「そうだ!俺前にお前らの作った菓子もらったけど、すげーうまかったじゃん!それ出せば見た目なんて関係ねえよ!な?」

「・・・もういいよ。話になんない!」





言い合ってた女子数人は、怒りを露わにしながら教室を出て行く。
女子が去った後には、男子集団から次々にグチを聞かされ、教室に残った女子には白い目で見られ散々だ。
こんなことで揉めなくても、ぶっちゃけどっちでも良くね?

笑顔で周りをなだめながら視界に入ったのは、こんな騒ぎの中黙々と作業を続けるもう一人の実行委員。
こんなときでも表情一つ変えずに作業を進める姿はさすがだ。なだめる役変わってくんねえかな。













放課後になり、文化祭の準備やら委員の仕事やらで気づけば辺りはもう暗い。
まだ文化祭直前でもない学校に、残っている生徒もほとんどいない。
自分のクラスに鞄を取りに戻れば、聞こえてきたのは女子数人の声。
こんな時間まで何してたんだ?疑問に思いつつもそのまま扉に手をかける。





「結局若菜ってさ〜。周りにいい顔だけして何にも考えてないんだよ。」

「!」





突然聞こえた自分の名前。扉を開けようとした手が止まる。





「そうそう。要領だけ良くってさ。笑って何でも誤魔化そうとするんだよね〜。」

「私たちの気持ちなんてわかってくれないし?どうでもいいんだよ結局。」

「もっと責任感のある人が実行委員になればよかったよね。」





次々と聞こえてくるのは、俺への陰口。
彼女たちがこんな時間まで残っていたのは、昼間の揉め事のグチを延々と語っていたからなのだろう。
そして丁度俺への文句となったときに、俺がここに戻ってきたしまったってところか?うわ。タイミング悪い。

そう思うのと同時に、胸がズキリと痛んだ。
確かに俺はこの仕事が面倒だと思ってたし、あんな揉め事どうだっていいと思ってた。
だけど、引き受けたからにはちゃんとやろうって思ってた。やろうと決めたからには、成功だってさせたいって思っていた。

だからそんな風に思われてることが、何だかすごく悔しかった。










「いい加減にしたら?」





聞こえたもう一つの声。感情が読みにくい、トーンの変わらないこの声。





「文句だけなら誰でも言える。言いたいことがあるのなら、本人に直接言えばいいでしょ?」





直後に流れた、数秒の静寂。
言葉を失って驚いた表情をしている女子たちが目に見えるようだ。





「な、何よ!いきなり。さっきまで気にしてない風だったくせに・・・。」

「・・・若菜くんをちゃんと見てそういうことを言ってるの?
彼は実行委員としての仕事をこなしてる。責任感だってあると思う。今だって残って委員の仕事をしてる。
自分だって用事があるだろうに、それでも仕事を放り出したりしたことはないよ。」

「・・・な、何でさんが、若菜のことかばうわけ?」

「私は本当のことを言ってるだけ。」





うろたえる女子に、全く感情の動きが読めない
両者の立ち位置はもう明らかだ。





「っ・・・もう帰ろ!」





俺は咄嗟に電気の消えていた隣の教室に飛び込む。
逃げるように教室を出てきた女子たちが早足に廊下を走り去っていく。
女子たちがいなくなって、俺は飛び込んだその教室を出てクラスの扉を開ける。
そこには、自分の席に座り何事もなかったかのように作業を進めるの姿。





「・・・まだ、残ってたんだ。」

「うん。」





彼女があまりにもいつも通りだから、俺も何も見なかったかのように言葉を告げた。
返事は相変わらず、話が続きそうにもない短い一言。





、大体俺より帰るの遅いよな。仕事何だったっけ?」

「別に。たいしたことはしてないよ。」





答えになっていない彼女の仕事内容を思い返す。
丁度半分に分けた仕事。仕事量に差なんてないはずだった。

俺の仕事は学校受付や進行など、表仕事と言えるもの。彼女の仕事は雑務や資料作りという裏仕事と言えるもの。
社交的な俺と内向的なならばそれが当然で、妥当だと思っていた。けれど、思い返してみれば。
俺の任された仕事は、当日かその直前に準備しておけばいいものが多い。
けれどが今している雑務や資料まとめは文化祭当日まで続くのだ。地味に見える作業も、それだけで数日かかることだってある。

仕事の振り分けはに任せた。
けれど、振り分けられた仕事量は明らかにの負担の方が大きかった。





「俺・・・俺も手伝うよ!」

「別にいいよ。帰って。」

「そんなわけにはいかないだろ?ホラ、貸してみろって!」





作業を進めながら返事を返したから、無理矢理プリントを奪う。
ようやく顔をあげて俺をみたの表情は、やっぱり何も変わっていなくて。





の方が負担大きかったんだよな。ごめんな。」

「何で謝るの。決めたのは私でしょ。」

「何でこんな作業の多い方ばっか選んだんだよ。俺、全然気づかなかったし。気づいたら調整したのに。」

「・・・別に。」

「あ、今何か考えただろ。ちゃんと考えがあったんだろ?のことだから。」

「別に。」

「言ーえーよー。じゃないと、俺はしつこいぜ?こうやって何度も聞くぜ?」





あ、ため息つかれたし。それでも表情は変わらないのな。





「・・・別に考えなんてないってば。自分が暇だったから。」

「答えになってないしー!」

「・・・若菜くん、本当に帰っていいよ。用事だってあるでしょ。」

「何だよそれー!俺も手伝うって言って・・・」





俺の顔を見もせずに作業を続けながら呟いたの一言。
ふと、ひとつの考えが浮かんだ。
実行委員に選ばれたとき、俺が言った言葉。





『先生〜!俺、サッカーの練習あるから無理ー!』





まさか、まさかな。
俺がサッカーの練習があることを知って、それで大変な仕事を買ってでてくれた、なんて。
そんな都合のいい考え、あるわけないよな。

もう一度の顔を見つめれば、不自然に言葉を切った俺を見つめるの顔。
何かに気づいたかのように彼女の顔を凝視する俺から、は困ったかように目をそらした。
そんな行動をするが珍しく思えて、俺は思わず笑みをこぼした。





「なあ、って実はいい奴?」

「別に。」

「・・・ははっ!そっか!」





表情を変えない彼女。言葉の少ない彼女。正直な彼女。
そして、表面には見せることのない優しさを持った彼女。





俺はこの日、新たな彼女の一面を発見した。

















揉め事が何度起ころうと、イベントというものは当日がくれば大体なんとかなっているものだ。
うちのクラスもまた然り。あれだけ言い合いをしていた奴らは、今ではもう仲良くお喋り中。
本当、自分勝手だよな。全く。

結局、飾り付けることになったダンボールのレンガのせいかはともかくとして
それなりに客も入っている。売り上げも上々だ。

反対側のドアに、クラスの様子を見に来たを見つけた。
当日も忙しい彼女は、少しだけその様子を眺めすぐに別の方向へと歩き出す。



!」



あの日から俺は何度となくに話しかけるようになった。
話してみればわかる、彼女の人間性。はやっぱり冷たい人間なんかじゃない。
ただ、それがわかって進んで何回話しかけても。
彼女の表情が変わることも、声のトーンが変わることさえなかったのだけれど。





「体育館行くんだろ?俺も行く!」

「そう。」

「よかったな!うちのクラス大成功だぜ?」

「そうだね。」

「皆、いろいろ言ってたけど、終わりよければ全てよし!かな!」

「うん。」





頷いて、一言しか返事を返さない
でもこれもの味だよな。なんて、前はそんな彼女をつまらないなんて思ってたのに。俺って単純!

冷たくて無感情な奴だなんて思っててごめんな。

だけどさ、嬉しかった。お前の新しい一面が見れたこと。
俺のこと、かばってくれて。認めてくれていて。
何も言わずに、フォローしていてくれて。



本当に、嬉しかったんだ。















「若菜若菜!これ買っていけよ!・・・っと、さんも・・・どう?」





他のクラスの友達が、歩きながらクラスの売り物であろう団子を目の前に差し出す。
の存在に気づけば、ビクつきながら彼女にもそれを差し出した。
予想通りは「いらない」と一言残し、その場を去っていく。俺は・・・まあ友達のよしみで買ってやるとするか。





「若菜、お前何でと一緒にまわってんの?」

「いや、別に一緒にまわってるわけじゃないけどさ。」

「ああ。実行委員で一緒なんだっけ。よりによってとは大変だよなお前も。」





よりによって、だなんて。俺も最初はそう思ってたけど。
それでも、もうそんな思いは持っていない。むしろ。





「そんなことねえよ。って意外といい奴なんだぜ?」





むしろ、彼女を知ることが出来てよかったなんて思ってる。



俺のその言葉をポカンとした表情で聞いていたそいつは
我に返ると驚いたように俺に問いかけた。





「ええ?!お前もしかしてのこと好きなの?!」

「うわっ!声でけえし!!そんなことないっての!!」





慌てて友達の口を押さえつけて。ざわついた文化祭の廊下ではその声は誰にも届いていなかったようだ。
「だよな〜。」と安心したように笑って、そいつはまた団子を売るためにその場を去っていった。

・・・安心したようにって何だよ。別にが誰かに好かれてたっておかしくないと思う。
とはいえ、俺もを恋愛対象として好きかってなると話は別なんだろうな。
実はいい奴だっていうのはもうわかってるけど。その感情に特別な意味なんてないだろう。





少し遅れて到着した体育館。
そこでは学校全体のイベント準備が始まっていた。
何やら高い場所に風船をくくりつけるを見つけ、
背が足りなく苦労していた彼女から風船を取り、代わりにそこへくくりつけた。





「俺の方が背高いし、こういうのは任せろよ!」

「・・・うん。わかった。」

は風船渡してくれる?」

「うん。」





特別なことなんて、深い意味なんてない。
いい奴だと思った彼女と、もっと話がしてみたいって思ったこと。





「あと何個つけんの?」

「5個・・・かな。」

「よっし、じゃあちゃっちゃと終わらせるか!」

「うん。」





意味なんてない。
何も言わずに、誰にも気づかれていなくても、一生懸命に仕事をこなす彼女を助けたいと思うことに。





「これラストな?よっし・・・終了ー!」

「まだ次の場所もあるけどね。」

「マジ?よっし!じゃあ俺が華麗につけていってやるか!」





意味なんて、ない。
変わることのないその表情。少しでもいいから違う表情が見たいだなんて思うこと。





「・・・若菜くん?」

「あ。」





次の場所へ移るため、風船を持って並んで歩いていたを俺は凝視していたようだ。
その視線に気づき、は疑問の表情を浮かべる。





「あ、あれだよな!実行委員なんて面倒なだけだと思ってたけど、結構やりがいあったよな!」

「そうだね。」

「ありがとな!俺、と一緒に委員やれてよかったと思う!!」

「・・・。」





言葉は少なくとも、俺の言葉に何かしらの返事を返していた
しかし、今の言葉に返事は返ってこなかった。
うわ、やば。それには同意できないとか?そうだったらかなり悲しいんだけど。

そっと、気づかれないように、彼女を見る。
すると、そこには。





頬をうっすらと赤くした彼女の姿。





俺は目を見開いて、彼女の姿を凝視した。
信じられないようなその光景。俺が見たかった無表情以外の表情。
そして。





「・・・ありがとう。」





言葉と同時にそこにあったのは、初めて見る彼女の笑顔。
間抜けな顔をした俺の目を見て小さく静かに、それでも彼女は確かに笑った。

俺は夢でも見ていたかのように呆然としてその場に立ち止まって。
手に持っていた風船が天井に吸い込まれるように、上へ上へと昇っていく。
自身も恥ずかしかったのか、それともいつもの彼女なのか、立ち止まった俺に振り向きもせず前へと歩いていく。

風船を手放した俺に、先輩委員の怒った声が聞こえた気がした。
けれど俺はそれどころじゃなくて。





「・・・反則だ・・・!!」





反則だ。そんな笑顔。
そんな、優しい笑顔。そんな顔見せられたら。

あまりにも速い胸の鼓動。みるみる上がっていく体温。

認めるしかないじゃんか。
芽生え始めていた、お前への気持ち。





「コラー!何してんだ若菜!」

「・・・いてっ!!痛い痛い!先輩!!」

「風船だってタダじゃないんだぞ?何してんだお前は!」

「だってがっ・・・」




呆然として風船を手放した俺に、先輩委員のヘッドロックがかかる。
俺と先輩の掛け合いに気づいたが、俺たちへと振り向く。
その表情はもういつも通り。無表情な彼女のまま。





がどうかしたのか?」

「・・・いや、何でもないっす!」

「何でもなくねえよ!バカ若菜!」

「ぐわ!勘弁してくださいよ先輩!!」





きっと、俺しか知らないの笑顔。
独り占めしていたい、だなんて、そんな恥ずかしいことを思った。



今度、皆にも教えてやろう。彼女のこと。

無表情で言葉は少ないし、厳しいことだって言うけど。
それでも彼女は、お前らが思ってるみたいに冷たくなんかないってこと。
正直でまっすぐで。さりげない優しさと、温かさを持ってる奴なんだって。





・・・だけど。
さっき見せてくれた、あの笑顔。










それはまだ、俺だけの秘密。




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