始まりは些細なことだったと思う。 小学生の頃、転入先の学校のテストでクラス順位1位を取った。 転入直後にして頭の良さを見せ付けた天才少女。それが皆の私に対する印象だったらしい。 しかし、私がそのテストで良い点を取れたのには理由があった。なんのことはない、前の学校で既に習い終えていた部分だったからだ。 けれど、そんな偶然に驚き、対抗意識を燃やした一人の少年。 彼は運動においても勉強においても常にトップをゆき、周りから一目置かれていた存在だった。そんな彼の栄光の記録を、突然現れた転入生があっという間に打ち砕いてしまった。 彼は私を敵視した。今思えば、たった一回の偶然で敵視される私は可哀想だし、対する彼は子供すぎていたと思う。まあ、実際子供だったのだけれど。 そして次のテストで私は彼に大敗を喫する。元々の実力から考えれば当然のことではあるものの、彼は勝ち誇った顔で自慢気に言葉を告げた。 『俺がこんな女に負けるわけねえんだよ!ざまーみろバーカ!』 別に勝負をしていたわけじゃない。彼が勝手に怒り、対抗意識を燃やし、それまで通りの良い点を取っただけの話だ。 元々私は平凡な人間であって、以前のテストで良い点を取れたことだって偶然でしかないこともわかっている。別に彼よりも下の成績だろうが気にしない。 ・・・と、それまでの私ならば思っていたところだった。けれど、なぜかその時の私は彼の言葉を冷静に受け流すことができなかった。 彼の物言いがあまりにひどかったから?それとも勝手に敵視されていたことが実はストレスだったのだろうか?とにかく、彼の勝ち誇った顔も、人を馬鹿にした態度も、見下す言葉も、そのすべてに無性に腹が立った。 それまで気づいていなかったが、つまり私はかなりの負けず嫌いだったらしい。 『今のうちにせいぜい喜んでれば?』 彼と、周りにいたクラスメイトの顔が一瞬にしてかたまった。それから数秒後、歓声が巻き起こる。どうしてそんなことを言ってしまったのか、あの頃の自分が理解できない。私たちの対決をお祭り騒ぎのように持ち上げる、クラスメイトたちの期待を込めた視線。もう後には引けなくなった。 「お前、まだそんなレベルの問題やってんのか?だっせえ。」 「人の勉強にケチつけないでくれる?復習中なんだから話しかけないでください、三上クン。」 「まー次も俺が勝つから無駄な努力だけど。せいぜい頑張れよ、サン。」 小学校から続く数年越しの勝負は、どちらからも引くに引けないまま、今に至っている。 勝敗の行方 「、今日も残るの?」 「うん、授業でわからないことがあったから。学校だったら先生にも聞けるし。」 「相変わらず真面目だなあ。私、先に帰っちゃうよ?」 「うん、気にしないでいいよ。」 それまで平々凡々に過ごしてきた私が、学年トップという存在に対抗するのは容易ではなかった。正直に言えば、はじめは対抗すら出来ず、負けに負けた。今思い出しても腹が立つくらいに大負けだ。毎回告げられる自慢気で嫌味な台詞に、何度勝負を投げ出してやろうと思ったことか。けれど、結局投げ出すことはなかった。なけなしの意地と毎回沸き起こる彼への怒りは、私に力を与えた。 何度も負けが続き、彼が油断しきったそのとき、私は反撃に出た。そして、ようやく二人の順位が逆転する。結果を知ったときの彼のポカンとした間抜けな顔は、今でもはっきり思い出せる。必死の努力が実った瞬間だった。 それからは拮抗状態が続いた。私が勝てば次は彼が、彼が勝てば次は私が勝つ。勝負方法は学校でのテストが主ではありつつ、運動やお互いの趣味、学校行事など様々だ。私の負けず嫌いも相当のものだったけれど、それは彼も同様でどちらかが諦めることも引くこともなかった。 けれど、凡人は凡人であって、天才にはなれない。昔、授業以外の勉強をしていなかった私が今では、放課後に図書室に残り自主勉強をしていくことが日課となっている。 ガラッ 「あ。」 「?」 扉が開く音が聞こえ、続いた声に顔をあげる。 「何してんだよ。お前はいつでも必死で勉強してんな。勉強ばっかしてねえでもっと遊べば?色気の研究でもすれば?ついでに女も磨けば?」 「あーもーうるさいな。そっくりそのまま返す。」 「俺のどこを見て言ってんだよ。そんな必要があると思うか?」 そこにいたのは、ずっと勝負を続けている相手、三上亮だった。 相変わらずの失礼な物言いだけれど、さすがに数年来の付き合いをしていれば慣れもする。 三上は実に面倒な男だ。 第一に口が悪い。とても悪い。ほとんど初対面だった私に暴言を吐くくらい悪い。それから素直じゃないし、プライドも高く、滅多に人を褒めたりしない。逆に人をからかったりするのは好きというのだから、手に負えない。 それなのに顔はいいからか女子に人気があり、そしてなぜか男子にも割と好かれているのがまた腹立たしい。 「何しに来たのよ。勉強の邪魔!」 「意味もなくこんなとこ来ねえよ。授業で使う資料を取りに来ただけだ。」 「・・・何それ。何の授業?」 「うるせえな。お前に関係ねえだろ。」 私はずっと、疑問で仕方なかった。 何故、この男はたいした努力もなく、必死で勉強している私に勝てるのか。こんなに口が悪くて、嫌味で性格も悪いのに、人に好かれるのか。 やっぱり才能か。やっぱり顔か。持って生まれたものが違うことで、世の中はこうも理不尽に感じられるのか。努力する姿をあざ笑うように、人を見下した言葉をかける。こんな奴、嫌いだ。大嫌いだ。そう思っていた。 「・・・何だよその目は。」 「別に。」 「借りんのもめんどくせえな。覚えていくか。」 それだけ嫌っていた相手でも、勝負が終わりを迎えることはなかった。いや、嫌っていたからこそ、続いていたのだとも思える。 ライバルと言えば聞こえはいいけれど、私たちの関係はそんな清々しいものではなく、どちらかといえば場の空気が重くなるような、悪い意味で緊張感に溢れたものだった。 しかし、図らずも過ごしてきた長い時間は、私に慣れという変化を与える。一緒にいることが苦痛ではなくなり、心に余裕ができると同時に、彼に対する偏った見解も徐々に崩れていく。数年の時間をかけながら、私の知らなかった彼を少しずつ知っていくことになる。 「何かっこつけてんの?大人しく持って帰って、ゆっくりじっくり覚えた方がいいんじゃない?」 「ああ?!」 「すごんだって怖くないし。」 「あー、うるせーうるせー。とっとと覚えて帰るんだから邪魔すんなよ。」 私はずっと、彼が天才なのだと思っていた。いつだって余裕で、飄々としてて。たいした勉強も運動もしなくても、学年トップは取れるし、部活でレギュラーにもなれる。だから腹立たしいと思ったし、必死で勉強して彼に勝てたときは本当に嬉しかった。 私の斜め前の席に座った三上が鞄から取り出したノートは、大分前から使っているような、古びたものに見える。けれどそれは古いというわけではなく、ただ単に彼が何度もノートを開き、見返しているからだろう。パラパラとめくられたノートには、黒い文字がびっしりと書かれているのが垣間見えた。 「おい。」 「え?」 「何ぼけっとしてんだよ。わかんねえとこでもあったか?頭を下げてお願いするんなら、教えてやってもいいぜ?」 「嫌だよ。誰がそんなことするか。」 「可愛くねー女。」 そしていつしか、自分の考えが思い違いだったのだと気づく。口が悪くて、素直じゃなくて、プライドが高くて、滅多に人を褒めないことはまぎれもない事実だけれど。 彼は、天才ではない。どちらかと言うのならば、私と同じ側にいる。 その姿をはっきりと見たわけじゃない。それでも三上は私と同じか、それ以上の努力をしているんだろう。ただ、彼はプライドがバカみたいに高いから、それを見せないようにしていただけなのだと。 「・・・そういやお前、今日自転車?」 「バス。」 「あー、家の近くにバス停出来たんだっけ?」 「うん。遅くなるのがわかってる日とか、雨の日は使ってる。」 「ふーん。」 そんな素直じゃなくて、プライドの高い彼が、ここに居座る理由も私は気づいている。 「何時までいるつもりだよ。お前の脳みそ小さいんだから、一日の限界量ってもんがあんだろ。」 「ケンカ売ってんの?少なくとも三上よりはあると思いますけど!」 「ああ?何の冗談だよ?」 「・・・。」 口が悪くて性格も悪いはずなのに、彼は私がここにいることに気づき、いつ学校を出るのかを確認しに来たのだ。私が彼を知っているように、彼もまた私がひとつのことにのめり込むと、周りが見えなくなる性格だと知っているから。 自転車で帰るには道も暗くなり、遅い時間。バスならば駅が自宅からも近いこともあり、比較的安全だ。部活を終えたばかりで疲れているくせに、適当な理由をつけて、図書室までやってきて。 彼の性格も、優しさも、人間性も、とてもわかりにくい。はっきり言ってしまえば面倒な奴だと思う。 彼があまりに素直じゃないから、私も素直になることができない。 一言、心配だから帰れと言ってくれたなら、私だって素直に従うのに。 「はーあ。三上がうるさいから今日はもう帰ろーっと。」 「あー、帰れ帰れ。」 そしてもっと面倒なのは、私も三上もそれがわかっていて、こんな白々しいやり取りを続けていることだ。 私たちは長い付き合いだ。 ただ敵視するだけの存在から、お互いをライバルと認めるようになり、飽きることもなくずっと競い合ってきた。勝負を続けたのも、いつも偉そうで嫌味な三上をなんとかして負かしたかったから。 けれど、そんな考えがきっかけでも、勝負を続ければ続けるほどに、過ごす時間は長くなっていく。お互いを知っていく。 性格も、考え方も、ささいな感情の変化でさえも。 私たちはもう知っている。勝負以外に、芽生えた感情があること。 状況に耐えかねて、気持ちを伝えてみようと思ったことがある。けれど、結局行動には移していない。それは不安な気持ちもあったし、恥ずかしい気持ちもあったからだ。けれどもう一つ、一番大きな理由。 私から告白をしたら、それは『負け』になるのではないだろうか? 巷では惚れた方が負け、なんて言葉を聞くけれど、自分がそんなものに振り回されるとは思ってもみなかった。端から見れば、何をそんなバカなことで悩んでいるのかと笑われるだろう。けれど、私たちにとっては大きなことなのだ。 それに私が告白して、にやにやと笑いながら勝ち誇る三上を見るのもなんだか癪だ。そう思うこと自体、恋ではないと言われてしまいそうだが、私が三上に特別な感情を抱いていることは間違いのない事実だ。 そしてこれは自意識過剰と笑われそうだが、三上も私と同じ気持ちなのだと思う。ただ、その考えが正しかったところで、私たちが意地を張り続ける限り、進展は何もないということにもなるのだけれど。 図書室を出て、薄暗くなった廊下を二人で歩き、正門へと向かう。学校の寮に入っている三上は、ここまで来る必要はないのだけれど、あえて口にしたりはしない。 「そういやこの間、告られたんだけど。」 「・・・ふーん。」 「うわー、何だその反応。お前には縁がなさすぎて枯れてんのか?」 「・・・別に。三上が告白されようが私に関係ないし。」 「・・・あー、そうかよ。」 どうして、こんなに不器用なんだろう。素直になれないんだろう。くだらない意地を張り続けてしまうんだろう。 三上を面倒だという私こそ、人のことは言えない。頭ではわかっているのに、いろんな感情が邪魔をして、ずっと行動に移すことが出来なかった。 「あーあ。結構可愛かったし、付き合うかなー」 「・・・か、勝手にすればいいじゃん。」 「へえ、いいんだ?」 「・・・何が?」 「。」 「だっ・・・だから何・・・」 「いいんだな?」 「っ・・・」 いつになく真剣な表情で、まっすぐに私を見つめる。 こんな状態で嘘なんてつけないし、かと言って正直にだってなれない。 「・・・。」 「・・・。」 「・・・あーもう、めんどくせえ!!」 「?!」 声すら出せず、ただ彼を見上げることしか出来なかった私の肩を、三上が眉間に皺を寄せながら強く掴んだ。 戸惑っているうちに逃げる手段すら奪われた。あまりにもドキドキしすぎて、自分の心臓の音が頭にまで響いてくるようだ。 「もう白々しいことすんの面倒!お前もそうじゃねえのかよ?」 「・・・え・・・え・・・?」 「そういう驚いてる演技もいらねえっつの!」 「・・・い、いや・・・演技じゃないんですけど・・・」 「昔から腹立つくらい負けず嫌いだよな。」 これは、もしや・・・三上の方から気持ちを告げてくれる流れだろうか。なんて、都合のいい考えが浮かぶけれど、そうはいかないのが三上亮という男だ。 「お前、言えよ。」 「い、嫌だよ!三上が言えばいいじゃん!」 「何で俺からなんだよ!ここはお前から行くべきだろ?!」 「何でって思うのが何でよ!嫌だってば!」 「ここまで来てお前なー・・・!あーもうわかった!同時だ、同時!!」 「・・・同時?」 「それならどっちが先も後もねえだろ?」 本当に私たちは、意地っ張りで面倒で不器用だ。 お互い真っ赤になって、相手の気持ちもわかっているのに、はっきりさせないと気がすまない。 口に出して、お互いの気持ちを確認して初めて、私たちの関係は変わるのだ。 「・・・わかった。」 「じゃあいくぞ。裏切んなよ?」 「そ、そっちこそ!」 目をあわせて、真っ赤になっているのに真顔で。なんとも間抜けな光景だ。 そんな自分たちに気づかないふりをしながら、ひとつ深呼吸をする。 「せーのっ」 意を決して、自分の背中を押すようにつけられた掛け声の後には。 「・・・・・・。」 「・・・・・・。」 「何で言わねえんだお前は!!」 「だ、だだだって・・・って、お互いさまでしょ?!」 日の沈みかけたオレンジ色の夕焼けをバックに、いつもと変わらぬ光景。 どうやら私たちのこの関係は、まだもう少し続いていくようだ。 TOP |