「今日も翼くんかっこよかったねー。」

「可愛かったよねー。」

「キューピーももう構わなければいいのに。いっつもやりこめられちゃってるんだから。」

「でもああして先生にも対抗できるってとこがまたいいよね!」

「ねー!」





毎日毎日飽きもせず同じクラスの有名人について語りあう友達。
確かに頭脳明晰、スポーツ万能、容姿端麗、カリスマ性も指導力もあると称される彼に私も興味がないわけじゃない。





「翼くんが彼氏だったらなあ〜。」

「アンタそれ高望みしすぎ。」





しかし、私は開いていた教科書とノートに視線を向けつつその会話を聞き流していた。
毎日が賞賛の嵐の彼に、何かを望むほど思い入れがあるってわけでもない。
話したことも数えるほどしかないし、遠くから見てすごいなあとそう思っているだけ。
いわば高嶺の花とでも例えられるだろうか。

そう、私と椎名翼の関係なんてそんなものでしかなかったのだ。
















答えはまだ見つからない

















「で、、課題終わった?」

「終わらないよ!教えてよ!」

「ええー、この間のやつでしょ?そんなに迷うとこなんて・・・ってまだそこ?!」

「ここですよ、まだここですよ!だってわからないんだもん!数学なんて滅んでしまえばいい!!」

「アンタそこまで・・・」





友達の椎名くんトークを聞き流していた理由は、彼が嫌いなわけでも興味がないというわけでもない。
今の私はそれどころではなく、数学の授業で出された課題と必死に交戦中だったからだ。
数学と言えば私にとって鬼門であり、決して通りたくない魔物の道。言い換えれば最も苦手な科目。
テストでは毎回壊滅的に点数が悪く、職員室に呼び出されることも日常茶飯事だ。





「ところで私、今日用事あるんだけど。」

「ごめん、私も。、その課題が終わればいいんでしょ?答えだけ教えていこっか?」

「ええー・・・そうなんだ。数学の苦手な私を一人にしていくんですか・・・。」

「「自業自得でしょ。」」

「ってのは冗談で帰っていいよ。もうちょっと頑張ってみてわからなかったら先生に聞きにいくから。」

「また面倒そうな顔されるだろうけどね。」

「それもいつものことだけどね。」

「・・・頑張ります。」





友達が教室を出て、静まり返ってしまったその場所に一人取り残される。
この解読不明な暗号を見ているだけでも眠気に襲われるというのに、一人になってしまったらなおさらだ。
私は教科書と向き合いつつ、それがぼやけてみえるたびに顔を叩いて意識を覚醒させる。





ガラッ





何度目かの眠気との戦いの中、突然教室のドアが開かれた。
驚いて叩いた手を顔に当てたまま、そちらへと振り向いた。





「あれ、何やってるの?」

「・・・。」





そのときの私はとんでもなく間抜けな顔をしていただろう。だってすごく驚いて動転したんだ。
一瞬かたまって、もしかしていつの間にか夢の中かと疑って、もう一度顔を叩いてしまうくらいには。
考えてみれば彼は同じクラスなんだから、いくら放課後の遅い時間といってもそこに現れてもおかしくはないのだけれど。





「・・・こんにちは。」

「こんにちは、って今更?今日既に教室で会ってると思うんだけど。」

「椎名くんこそどうしたの?今日は全部活休みの日だよね?」

「忘れ物。ああ、あったあった。それで?は?」

「・・・自主勉強?」

「嘘つけよ、終わらなかった課題でもやってるんだろ?」

「すいませんその通り・・・って何で知ってるの?!」

の数学の出来なさはクラス中が知ってると思うけど。」

「・・・っ・・・」





あの椎名くんが自分のことを知っていた。知っていたけれど内容がそんなものとは。
これも先生が皆の前で私の成績の悪さをネタにしたりするからだ。
いや、ネタにする前に毎回補習や追試を受けているのは周知の事実なのだけれど。





「まあが教室に残ってる時点で何してるのかは予想ついてたけどね。
残る理由、いつもそれだろ?」

「い、いつもって何?今日は頑張って残ってみただけで・・・」

「校庭からこの教室の明かり見えるんだよね。ついでにその席って窓際。」

「じゃあ知っててあえて聞いたの?!」

「うん。」

「性格悪い!」

「何で?予想はついてたけど確証はなかったし。だったら確認しようって思うのは自然の流れだと思うけど。
はそれしきのことで人の性格を悪いなんていうわけ?性格悪いのってどっち?」

「く・・・くう・・・!」





私が何も返せないのわかってて言ってるよねこの人。
顔がなんだか楽しそうなのがまた小憎らしい。





「今ここでやってるってことは提出済の課題?今日中に提出?」

「ううん。でも家でやってても行き詰ってばかりだから、学校で少しでも進めようと思って。」

「ふーん。」





椎名くんが私の席まできて、広げられた教科書とノートを覗き込む。
高嶺の花である彼がこんな近くで・・・!なんて考えはもう吹き飛んで、私としては今すぐここから逃げ出したい気持ちだった。
こんなところを見られたらさっきの友達のように・・・いや頭のいい彼はそれ以上に私に呆れることだろう。





「どこでつまづいてるわけ?」

「え、いや、いいよ。先生に聞いてくるから。」

「どこ?」

「いや、だからね・・・」

「どこかって聞いてるんだけど。」





・・・笑顔で威圧しないでください。
綺麗な顔だから凄みが増すっていうか、この笑顔には逆らえるはずもないって思ってしまう。





「ここ、ですけど・・・。」

「・・・ふーん。」

「呆れるね、そりゃ呆れるよ!でも私にとってはすごい難問なんだからねこれ!」

「まだ誰も何も言ってないんだけど。」

「言われる前に言ってみました。」

「っ・・・バカじゃない?」

「ああバカですよ。いくらでも笑うがいいわ!そんなの慣れてるもの!」





今まであまり話したことのなかった椎名くんだけど、なんだか普通に喋れているのが意外だ。
最初にからかわれて思わず反論、なんてやり取りがあったからなんだろう。
必死になる私とは裏腹に椎名くんは楽しそうに笑う。私は楽しくもなんともないんだけど・・・!

恥ずかしさに顔を俯けていると、ガタン、と何かを動かす音がした。
顔をあげれば前の席の椅子に椎名くんが座っている。
私はまた先ほどのような間抜けな顔を浮かべて彼をじっと見つめる。





「なんて顔してるのさ。」

「椎名くんこそ何してるのさ。」

「ここ、どうやったらその答えが出てきたか教えて。」

「あのー、聞いてる?椎名く「教えて。」」





また有無を言わせないつもりらしい。なぜ椎名くんがこんな行動に出たのかはさっぱりわからなかったけれど
彼はそれを答える気はないようだからと諦めて、私は自分なりに問題を解いた経緯を説明する。





「・・・ってさ。」

「・・・何?」

「頭かたいとか、要領悪いって言われない?」

「・・・!」

「・・・言われるんだ?」





そう、もっと要領をよくすれば点数だって取れるのにって何度も言われたことがある。
だけど私は基本から理解して、どこをどうしたらその結果になるのかまでわからないと気がすまないタチらしい。
そこで余計なことを考えすぎてあらぬ方向に理解してしまうのだ。数学は特に。

だから先生に基本から教わったこともあるのだけれど、先生の言うことは難しすぎてよくわからない。
どうして数学ってこんなに複雑なんだろう。暗記ものだったらもう少しなんとかなりそうなのに。
基本を覚えてそれを別の問題に応用なんて高等技術、私には難しすぎるんだよね。





「無理だね。」

「そ・・・そう。」





何が、なんて聞くまでもない。私がこの問題を理解することがだろう。
学校一の秀才であろう人からも匙を投げられてしまった。
当然といえば当然なんだけど、なんだかちょっと落ち込んでくるな・・・。





「今日だけじゃ無理。」

「・・・え?」





椎名くんの言葉の意味がよくわからなくて、俯けた顔をあげる。





「放課後は部活があるから・・・そうだな、昼休みだったらつきあうけど?」

「・・・は、はい?」

「それは返事?それとも疑問?」

「ぎ、疑問ですけど・・・!それは椎名くんが私に勉強を教えてくれるってこと?」

「それ以外にどう聞こえるわけ?」

「どうして?今までもあまり話したことないし、さっきだって私の理解力のなさに呆れてたのに・・・!」

「前から興味はあったんだけどさ。」

「・・・え?」





驚きの展開に混乱しつつ声をあげる私に対し、椎名くんは飄々とした顔で冷静に答える。
ちょっと待って。興味って何?勉強を教えてくれるっていうし、興味はあるって言うし、え?何?そんなまさか。
飛葉中のアイドルとも言われているこの人が、いやいやいやまさか。





の数学力。」

「・・・。」





一瞬持ってしまった夢は儚く散り、そこには空しさだけが残った・・・。
そっちですか。ああ、うん、そりゃあ椎名くんくらい勉強が出来れば何でそんなに出来ないかって疑問だよね。





「バカにしてるでしょ?」

「してないよ。」

「いーやしてる!残って勉強してもこんなに出来ないんだって思ってる!」

「思ってないってば。」

「皆笑ってそう言うもん。なんでそんなに出来ないんだって・・・!」

「周りの奴らが言ってたからって、何で僕も同じだって思うんだよ。」





笑うこともなく、呆れることもなく、彼はまっすぐな言葉と表情で私をみる。
そんな彼を前に、続けようと思った言葉は声にならなかった。





「苦手なものなんて誰にだってあるだろ。
僕がバカにするとしたら、苦手なものを克服する努力もせずに口でばかり文句を言ってるような奴だね。」

「・・・。」

は違うと思うけど。」





予想外な人から、予想外な言葉が飛び出した。

ずっと頑張ってるつもりだったけれど、なかなか成果は出なくて。
そんな私が皆にも先生にも笑われているのは知ってた。
ただそれはやっても出来ない自分のせいで、当然で仕方のないことだってそう思ってたのに。





「・・・違うって思う?」

「まあね。」

「何で・・・そう思うの?」

「言っただろ、いつも見てたって。」

「ああ・・・校庭から見えて・・・」

「課題なんて終わらせようと思えば、誰かに答えだけ聞くってこともできる。
でもいつも残ってるってことは、はそれをしようとしてないってことだろ?」

「だ、だって、自力で解けないと悔しいじゃん!」

「ははっ、それわかる。」





いつもそれを言うと大抵笑われてしまう。
そこまで成績悪くて何意地はってるんだ、とか。もっと要領よくなれ、とか。
そして今、椎名くんも目の前で笑ってる。でもそれは今まで笑われてきたものとは違う気がした。





「それならなおさら難しいね。」

「何が?」

「自力で解くのも、それを教えるのも。」

「・・・なっ・・・」

「僕以外にはね。教師も匙を投げるわけだ。」

「・・・まさか!先生に頼まれたの?!」

「頼まれたのは事実だけど、決めたのは自分。」

「椎名くん、そんなに内申点ほしいの?!」

「僕がそんなもので動く人間に見える?」

「・・・見えません。」





自分の信念のためなら先生を敵にまわしても、それを貫くような人だ。
元々成績がいいのもあるだろうし、今更内申なんて気にするはずもない。





「でも、そしたら何で・・・」

「さあ、自分で考えてみたら?」

「わからないから聞いてるのに・・・!」

「自力で解かないと悔しいんじゃなかった?」

「・・・っ・・・!」

「ヒントは既に出してるしね。」

「・・・え?いつ?どれ?!」

「さあ。」

「くっ・・・!椎名くんともあろう人がそんなに私をからかって楽しいですか?!」

「うん、すごく。」

「何そのいい笑顔!なんかすごい悔しいんですけど!」





わからない。椎名くんという人間も、彼が一体何を思って私に協力しようとしているのかも。
だけど、





「それで?どうするわけ?」

「・・・ぜひ、お願いします。」

「最初から素直にそう言えばいいんだよ。」





意地悪く笑っているし、私をからかって楽しんでいるし、もしかしたら何か裏があるのかもしれない。
私のあまりの出来の悪さにやっぱり途中で投げ出されてしまうかもしれないし、終いには怒ってしまうかも。
そんな考えもたくさん浮かんだのに、私は彼の申し出を素直に受け入れた。

それよりも椎名くんの言葉や行動の意味を、そして彼自身のことをもっと知りたいという気持ちが勝ってしまったから。
もっと近づいて、たくさんの話をしてみたいって思ってしまったから。

どうやらさっき椎名くんが言ってくれた言葉が、自分で思うよりもずっと嬉しかったらしい。



先ほどまで怖ささえ覚えた綺麗な笑みが、なぜだか優しく見えたのもきっとそのせいだ。









TOP

【椎名翼誕生祭様提出作品(2009.04.19)】